ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

【旅は世につれ,世は旅につれ】>自由化から4年経った1968年,メキシヨでオリンピックが開催。観光団が組織されるなど,ちょっとしたメキシコブームが起きた海外観光旅行の自由化は,航空運賃,宿泊費,バス代,ガイド料,ツアーコンダクター経費を加え,さらにマークアップして収入を得る請負型旅行から, レディーメード型の主催商品開発の契機になったのは言うまでもない。“はじめに顧客ありき"から“はじめに商品ありき''への序奏となったの力杯責立て型のオーガナイザー主体の旅だった。限られたパンフレットによるDMがセールスの主体で,新聞広告で一挙に集客するなどというのは,夢のまた夢であった。お茶の間では「兼高かおる世界の旅」がヒット,ジェット旅客機の急先ぽうであったパン・アメリカンのボーイング707が世界と日本を結ぶシンポリックな存在だった。3C(カー・クーラー・カラーテレビ)と並び3P(パスポート,プレーン=飛行機旅行,プール)が1召和30年代末から40年代へかけての“3種の神器"とされ,庶民のあこがれのステイタス・シンポルとされていた。▲ 当時のハワイ旅行の人気お土産はパイナップル航空会社はパッケージの先生だった▼ ジャルパック初期のパンフレットオリエンテッド型パッケージツアーカt見われる。>日本航空=ジャルパック(昭和40年1月)>アリタリア航空=SIT(後にバカンザツアーに己鰤へ昭和40年5月)>パンアメリカン航空=パンナム・ホリデーツアー(昭和40年6月)>ルフトハンザ航空=オイローパツアー(昭和41年1月)>SASスカンジナビア航空=バイキングツアー(同)>ノースウエスト航空。キャセイ航空・アリタリア航空3社ジョイント=NAC(ナック)ツアー(昭和41年4月)>BOAC(英:国航:空)=ローズ。ツアー(昭和41年7月)>エール・フランス=セシボン・ツアー,マロニエ・ツアー,ルネッサンス・ツアー(昭和41年11月)>タイ航空=オーキッド・ツアー(昭和42年4月)一ホールセール商品が出現する前に,一斉に花開いたブランドである。販売にあたってはキャリアのセールスマン,ティケッティング・スタッフカウト社からとりよせたマニュアルをもとにパッケージツアーの企画とセールス手法をキメ細かに伝授した。航空会社のオーバーナイト・バッグがギヴアウェイとして貴重な存在だった。87海外観光旅行の自由化を迎えて航空会社のセールス・スタッフも目を輝かせた。各旅行代理店に続々,誕生した「海外旅行部」や「国際部」に足しげくかよい, 自オ土路線をセールスするとともに,旅行代理店スタッフと一緒になって商品企画をすすめた。海外旅行の総需要Il筵を合い言葉に,航空会社,旅行代理店が二人三脚で企画し,セールスした。グループサイズは15人が最少のクリア・ライン。ツアーコンダクターの航空運賃を吸収するため,「15人」を目標とした集客から始まった。日本交通公社の「海外旅行シリーズ」,近畿日本ツーリストの「ひまわり海外旅行シリーズ」などホールセール商品の母体になる商品群も,昭和40年代初期に登場した。海外旅行の資金にとぼしいヤング旅行者には日本交通公社の「ソ連セット旅行」などが人気だった。横浜~ナホトカを船で渡り,シベリア鉄道かアエロフートでヨーロッパヘ入るエコノミー旅行である。こうした旅:行代理店によるレディーメイド型旅行の開発に併行して,航空会社オリエンテッド型の旅行が続々,開発された。そして航空会社のマーケティングによって,「ブランド」が生まれた。いち早く登場したのがスイス航空利用のパッケージッアー「プッシュ・ボタン・ツアー」(昭和39年7月)。以下,次のような●●日航機で行く海外潔旅行 なプヤ拶驚♂ジ喰=ソ∠フ11丼|'42年3月~~回″・【,1・a(