ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

【旅は世につれ,世は旅につれ】▼パッケージ商品の多様化でファミリーツアーも年々増加しているノ/▲パッケージ化により,モンゴルなど行きにくいデステイネーションが身近になってきた東南アジアは男性型から女性型にネーションと判を押されていた東南アジアは,バルク,GIT運賃のプロモーションによって,若い女性をターゲットにしたリゾート・エリアの色彩を濃くした。「一瞬の点」を求める旅行者東南アジア線へのバルク運賃適用(1971年),通貨の変動相場制への移行(73年)なども,デスティネーション型の往復割引運賃導入や円高による旅行費用の実質的な低下が引きガネになって,1970年代中頃から東南アジアの各デスティネーションは若い日本人女性をメインターゲットに据えて商品化を進めた。ベトナム戦争のり副木兵やヨーロッパからのチャーター旅客を対象に開発されたパタヤ。ビーチ(タイ), シンガポール,香港の駐在員に人気があったペナン島(マレーシア)の2大リゾートが日本をマーケットの対象として,プロモーションした(74~ 76年)。アンコールワット,アンコールトムの2大遺跡が戦火につつまれ,主力観光地を失った東南アジアは, リゾート開発を進めることです斤たな市場を発掘した。文化とリゾートが一体となったバリ島にはバリ。パック(富士海外旅行),セブ島(フィリピン)にはエメラルドツアー(はとバス旅行),フィノレヾック(阪急交通社)などデスティネーションの“専科"ブランドも生まれた。ペナン,パタヤを軸に80年代にはさらに東南アジアのリゾート開発が進んだ。プーケット(タイ),ランカウイ島(マレーシア),セントーサ島(シンガポール)などである。70年初期までは男性の団体デスティ「部屋」'りゞデスティネーションになる円高が進み, 1ドル200円を切った1988年頃から国内旅行よりも安い海外旅行が珍しくなくなった。米軍の基地であったグアムは69年のパンナム就航を機に,サイパンとともに国内旅行並みの地場リゾートに発展した。中国も大接近した。▼カウンターには「安さ」を強調した商品がズラリ88年に1建国200年を迎えたオーストラリアは,「羊毛とコアラの国」から一転, ゴールドコーストを中心に「時差なしで行けるリゾート」を売る,今や日本人旅行者で支えられる観光立国に変わりつつある。ヨーロッパは,「国」から「都市」主力のツアーに変った。さらに,「ロマンチック街道」(ドイツ),「メープル街道」(カナダ)など,“面"から“線"の旅が生まれ,そして,熱帯雨林の中の“点"であるリゾートに旅行者の視線がヽ主がれるようになった。米国のテーマパークヘは,一瞬のスリルや映画の主人公と同じ体験を求めて旅行を決定する時代になった。63年に10コースほどしかなかった海外旅行商品は現在,延べ50万を超す組み合わせができるようになった。85リゾート型デスティネーションの原点はやはリワイキキにあった。オプショナルツアーの開発,滞在型のアクティビティー商品の開発一一いずれも,その見本はワイキキにあった。ホテルがデスティネーションの重要素となったのも,ホノルルが最初だった。周遊型旅行では“ベッド使用のみ"でホテルの諸機能・施設を使わなかった日本人が,滞在型旅行でホテルに固執するようになった。ホテル指定―そして,その後に現われるの力培F屋指定。「オーシャンフロントの部屋」が重大な商品構成要素になってきた。タヒチ(73年),ニューカレドニア(78年),フィジー(81年),モルディブ(84年)など直行路線の開設で,インド洋やポリネシア,メラネシアの孤島が大接近し,「リゾート」というデスティネーションがパッケージツアーの主力を占めるようになる。くリゾート志向が強まる中,オーストラリアのグレートパリアリーフは安定した人気を得ているK∬AIP,、