ブックタイトル30_1964-1994

ページ
86/276

このページは 30_1964-1994 の電子ブックに掲載されている86ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

30_1964-1994

ハワイを軸に「面」から「極点」への旅にロマンチック街道,メーブル街道は日本製自由化に合わせて登場したパッケージ商品によリヮ海外旅行は身近なものになった。さらにバルク運賃の導入によつてヮツアー価格はぐ―んと安くなり,旅行市場は―気に拡大ヮ市場の成熟化とともにデスティネーションも多様化していった。▼ 自由化以降,海外旅行の“入門コーズ'として安定した伸びをみせてきた香港海外旅行の人間は香港・台湾|1963年,海外観光旅行の自由化を翌年に控え, 日本交通公社が売り出した海外旅行は次のようなデスティネーションだった。>台北・香港・マカオー周(7日間,19万5000F月)>ハワイの旅(10日間,39万8000円)>ハワイ・アメリカ西海岸の旅(12日間,47万5000円)>アメリカー周(16日間,59万円)>ヨーロッパの旅(19日間,71万2000円)デスティネーションヘの日本からの距離,日数,旅行費用は正比例していた。ヨーロッパ旅行は, より遠く, より長く, より高額であった。15人の集客で,ノーマルITが成立した。モノ・デスティネーション往復のプロモーショナル運賃も存在しなかったから,航空会社のルートに準じた周遊コースが主流だった。また,香港や台湾は1瞬交的, 日本語が通じることから海外旅行の“入門コース''になった。香港・台湾へまず旅行して,次いでハワイ,米西海岸,アメリカー周,そしてヨーロッパヘ旅行するのが一般旅行者の“お楽しみの順番"でもあった。誰力゛決めたわけでもないれそんな順番があり,ツアーコンダクターも初めは香港や台湾で腕ならしをした。8■バノンク運賃が変えた旅の順番一方,入門コースだった香港は,羽田国際空港が閉場する直前の時間に出発するナイトランが設定され,12万~13万円台のバーゲンセールが始まった。深夜,スポット(駐機場)で翼を休めているジェット機を,空港が眠っている間に活用する“オフ・アワー便"で俗に“夜這い便''とも言われた。大型グループが連日,深夜の羽田を離陸した。米国はサンフランシスコ,ロサンゼルス,ニューヨークの市内観光が定番だった。ハワイはワイキキが中心。当時では,ハワイ旅行力測性一の滞在型デスティネーションである。現地売りのエクスカーションは「オプショナルツアー」として販売され現′在のフリータイム型旅行の原形になった。東南アジアはシンガポール/バリ/バンコクなど周遊型ツアーが基本,オーストラリアはシドニー/メルボルン/キャンベラがすべてと言ってもよかった。この定式を崩したのが1969年11月に発効したバルク運賃である。冬季ヨーロッパ線のバルク運賃(40席単位で購入,ノーコミッション)は,ノーマル運賃の最大64%引き。冬季ヨーロッパが一挙に安くなった。それまで45万~50万円していた8~ 10日間のヨーロッパ旅行が29万円台で売り出された。同年6月2日の産経新聞には,「ヨーロッパ・バス旅行29万5000円」の広告カツ丁たれた。バルク商品の第一号広告だった。ロンドン。パリ。ジュネーブ。ローマは,バルク商品のメインコースで,初めての海外旅行者がハワイや香港ではなく,いきなリヨーロッパヘ直行する契機になった。パッケージツアー・デスティネーション編14