ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

急激に成長した海外修学旅行,公立高校実施にも環境整う海外旅行の大衆化とともにヮ海外への修学旅行への関心も高まってきた。実施校はヮ規制の少ない私立高校の方が圧倒的に多いがヮ公立高校でも徐々に緩和さЙL実施しやすい環境が整ってきている。安全面での問題は依然残るものの,国際交流や知識を深めるという意味でも,海外修学旅行は教育的効果が大きいようだ。急激に数を伸ばす海外修学旅行実施校数どは私立高校であった。公立高校で初めて海外修学旅行を実施したのは,それよりかなり遅れて1984年10月になる。福岡県立小倉商業高校の韓国への修学旅行がそれで,この時は片道だけ航空機を利用したという記録が残っている。その後,いくつかの公立高校が海夕?1膠学旅行を実施したが,いずれも牛割列的なものであった。地方自治体単位で初めて修学旅行の実施基準を改定したのは熊本県で,87年に韓国への修学旅行を許可している。九州地方では,費用面での負担が少ないということもあって,熊本県のケースをきっかけに公立高校の修学旅行が増加していくだろうと予想された。86年になると,円高の影響もあって日本人出国者が前年から約57万人も上回り,551万6193人を記録した。同年の海外修学方鮨予実施数も133校2万9597人と2年前の58校8565人に比べ,急激な増加を見せた(日本修学旅行協会調べ)。テン0ミリオン計画発表を機に海外修学旅行マー1位=東京,2位=京都,3位=奈良……・ ケットが拡大これが1967年の修学旅行地ベスト3である。一度に大勢の生徒を移動させなければならない修学旅行では,海外旅行が自由化されたからといって,すぐにその波に乗ることはなかった。海外修学旅行の始まりは,69年に静岡県`焼i報ヽ産高校の台湾修学旅行で,それ以降,徐々に海外修学旅行が増えていく。とは言っても,これは実習の目的が強く,純粋な修学旅行と呼べるのは,75年10月に実施された滋賀県近江兄弟社高校のフィリピン旅行あたりからだろう。75年というと,海外旅行自由化から数えて12年目,年間出国者数も64年の12万7749人から約19f音へと膨れ上がっていた。当時,デスティネーションは,韓国,台湾,中国と近場が主流で,実施校のほとん徹汗轟田県ミ′|821987年に運輸省から発表された「テン・ミリオン計画」には,海外への修学旅行促進のための施策が盛り込まれており,学校関係者の間で注目を集めた。具体的には,①キャンペーンの実施,②公立学校修学旅行実施基準の検討,③地方空港からのチャーター便の活用,④割引運賃の充実,⑤安全対策の充実,⑥出入国手続きの簡易化,⑦外航客船利用の促進,である。ちなみに,同年の海夕`MI多学旅行は,154校約3万6000人であり,そのうち,公立高校は十指に満たないという状況であった(同協会調べ)。テン・ミリオン計画の発表を受け,文部省では同年秋に海外修学旅行の実態調査を行い,翌年1月には全国の都道府県教育委員会へ向けて,航空機利用や海外での実施についての制限を加えるものではない旨を発表した。それにより,これまでネックとなっていた航空機利用や海外実施が事実上認可され,各教育委員会では, より柔軟な対応が可能となった。修学旅行実施基準を改定し,海外修学旅行を可能にした都道府県はこの年で7県に増加した。ただし,海外へ行くための特別枠を設定したのは長崎県だけで,ほかの地方自治体は費用。日数とも国内基準と同様と定めている。実際にはそのため,韓国や中国といったデスティネーションヘ近い西日本の学校の実施に限られていたというのが現状だった。てた…,めし校初施高ニで実業デ校を商な高行倉ュ立旅小韓公学立はく修県先∩ ャ海外福岡行き=畠|苺、 :F軸L壷ゝ修学旅行編113