ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

国際航空運賃編観光用運賃の初登場からGI丁主流時代ヘそして今l!Tの導入海外渡航自由化後の第―陣のハワイ旅行の価格は約36万円(7泊9日間)ヮ大卒初任給が2万円弱の時代だから,18カ月分に相当する大金だ。現在では給料の半分もあればハワイ旅行が楽しめてしまう。海外旅行が年々安くなり,身近な存在となった背景には,国際航空運賃の低廉価がまず挙げら」Lにう。ツーリスト運賃から?Tに至るまでの運賃変遷史。▼ 1965年以降団体割引運賃が次々に登場,70年にはジャンボ機が就航し,旅行の大衆化が進んだジャンボとともに登場した団体包括旅行運賃|鶴 OA'A:`へヽヽ|1954年にツーリスト(エコノミー)クラス運賃が設定されるまで,国際線の運賃はファーストクラス運賃しか設定されていなかった。海外旅行が奢修品とみなされていたからで,30年前に海外旅行C業務渡航)をする人はすべて普通運賃を支払っていた。1964年に年1回の海外観光渡航の自由イし66年に回数制限の撤廃が行われた頃から,いよいよ海外旅行が大衆化していき,運賃体系も大きな転換期を迎えることになる。観光用の運賃の必要性が求められたのも,この渡航自由化から。1965年4月の[り1ヽ1行きを機に,団体包括旅行運賃(GV10/15)やバルク運賃(40人以上)といった,団体書|1引運賃が,欠々に登場してきた。これらの初期の団体運賃はいわば残席処理の目的で導入されたもので,オフ期や低需要路線を中心に発展してきたが,この運賃を使った一般公募の宣伝という販売体系が浸透していくにつれ,全路線。年間設定へと拡大していった。海外旅行の大衆化に団体運賃が貢献したのはもちろんだが、70年に就航したジャンポジェット(B747)の登場も重要なポイントだ。この時期に導入された団体包括旅行運賃やバルク運賃はその後,整理統合され,今春まで存在したGIT(GV10/15/30)として,30年ほどマーケットの主流運賃として存在し続けていく。11974年には,第1次オイィンIショックで年に5回も値上げ7月にUS$1=296円の為替レートを固定的に使用し,その後に導入された通貨調整率 (Currency Adiustment Factor)との併用で発地国通貨建運賃の安定化を図った。この時期のもう1つの大きな出来事は,第1次オイルショック。1974年には燃料費高騰に起因する運賃値上げが5回もあり,ほぼ2カ月毎に運賃値上げが行われた。特別運賃については,70年代後半から80年代初頭にかけて,続々と団体運賃以外の割引運賃が導入された。これは従来の団体旅行形態に当てはまらないタイプの旅行やニーズに対応するもので,79年のAPEX(現在のPEX)運賃,80年のユース運賃,1981年の配偶者割引運賃,1983年の修学旅行運賃など,新しい運賃カジロ次いで登場した。粋1973年2月14日に起こった通貨市場の変動相場制への移行は,国際線運賃に大きな影響を与えた。日本発着の国際線運賃は区炒卜|,アジア・オセアニア方面が英ポンド,大平洋方面は米ドルで設定され,固定された為替レート(US$1=360円等)でその国の通貨に換算されていたが,その為替レートが頻繁に変更される変重赫目場制が導入されたことによって,顧客から収受する金額が変わることになった。国際航空運送協会(IATA)では, このときに,ポンドとドルの機軸通貨制度から,発地国通貨建て運賃制度に移行し,1973年687d ヽ麟韓. _轟轟議.漁醐ヽ?!*.,cfs{“●√o ■=u▲軍―■■鷹膠