ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

国際航空輸送を一変したジャンボ9今後は運航効率の高い長距離用機材ヘ日本の海外旅行はDC8型機から始まリヮジャンポ機時代に入って,… 気に花が開いた。就航以来20年以上も国際線に君臨,大量高速輸送時代を担ってきたジャンポ機だがヮ航空不況のなかで新たな時代を迎えている。▼ 1960年代にはB707と並んで花形ジェット機だったDC‐ 8型機(アリタリア航空)国際航空の主役を演じたDC8型機海外渡航が自由化された60年代中頃の国際線は,DC8,B707,コンベア880といったジェット旅客機の全盛時代であった。国際航空はDC7 Bなどのプロペラ機からジェット機へと変わり,そしてより大型で航続距離の長いジェット旅客機が求められていた時代である。特に日本の国際航空にとっては,大平洋線, ヨーロッパ線という長距離路線での競争力を付けるために大型ジェット機化が必要で,それを一気に可能にしたのがDC8型機の登場であった。同機は座席数130席,航続距離約7500kmと,それまでのDC7に比べて座席数,速度がほぼ2倍。当時,このDC8と共に国際航空界の花形機だったのがB707。同機は世界初のジェット旅客機である英国のコメット機に8年遅れて57年10月に初飛行したが,2度の空中分解事故を起こしたコメット機に変わって人気を集め,翌年10月にはパンアメリカン航空の路線に就航。機体も客席数181席▲世界初の長距離ジエット旅客機B707。第707番目のB707型がノースウエスト航空に納入された66と当時最大だった。一方のダグラス社はプロペラ機の後継にはジェットエンジンでプロペラを動かすターボプロッフ°機を考えていたため開発が遅れ,DC8が初飛行にこぎ着けたのはB707が路線に就航した半年前。そのため試作機なしで量産に入るという急ぎぶりだった。が,初期の型は開発を急いだあまりに性能が計画を大幅に下回るという問題が起き,DC8がようやく型式証明を取り路線に投入されたのは59年8月だった。その頃,ボーイング社は名機と言われた改良型のB707-320型機をすでに就航させており,一歩先をリード。その後,60年になってダグラス社はターボファン・エンジンの実用化と主翼を大幅に改造したDC8-50型機,そして60年代初期に相次いで開発された60シリーズの登場で一気に人気を得た。DC8-61型は50型の胴体を約1lm伸ばし座席数も従来の1・“音以上の250席に増大,さらに主翼を改良した62型,63型の登場で不動の地位を築いた。60シリーズ全体でそれまでのDC8よりもはるかに多く受注した。B707は構造的に胴体を伸ばすことができなかったため晩年はDC8に遅れをとったが,全体では改良型のB720を合めて合計967機が生産され,DC8の556機に大きな差を付けた。慇ヽ、籐,,、__鷹航空機編ハ0