ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

自由化後には世界一周路線,今9リストラ時代を反映して続廃含ヘ日本発着の国際路線は日本経済の発展や国際交流の活発化とともに拡大していった。しかし,―方ではジャンポ機導入に伴う直行便化や地方空港への国際線乗り入れなどで,路線網の見直しも逐次行われてきた。最近は世界的な景気停滞や経営状況の悪化を反映してヮ路線網にもリストラ時代が訪れている。日本航空を中心にヮ国際路線の30年の変遷ぶりをみてみる。ヨーロッパ線拡充と世界一月路線の完成トップ便の基礎となる画期的なものだった。路線の拡充は大平洋線でも行われ,66年には一気に足を伸ばして待望のニューヨーク乗り入れを実現。最新鋭のDC-8カ寸曼入されたがさすがにノンストップ化は不可能で,当時はサンフランシスコを経由してニューヨークヘ至るルートがとられていた。そして翌67年にはこのニューヨーク線をロンドンまで延ばして大西洋を横断,ついに世界一周路線を完成させた。▼1966年|1月日本航空は待望のニューヨーク線を開設,機材は当時最新鋭のDC‐8型が投入されたエンジン改良で直行便が増大|1954年のホノルル・サンフランシスコ線,55年の香港線の開設から始まった日本航空(JL)の国際線は次々と路線を拡大し,64年の海外渡航自由化時には大平洋,アジア, ヨーロッパの主要路線網は確立されており,本格的な国際航空旅行時代にふさわしい態勢が出来上がっていた。この頃のヨーロッ′絲泉はソ連を迂回する北回り。南回りの2ルートで運航されており,南回り便は途中8都市を経由して所要31時間という飛行だった。65年になるとDC8型機の導入によってアンカレジ経由の北回り線が急速に充実され,ハンブルクやアムステルダムなどへの直接乗り入れが可能となる。そして67年に開設されたモスクワ線は,シベリア上空を通過するノンス1970年代に入ると,観光客の需要増加で, ミクロネシア・南太平洋方面の路線が拡充されていく。グアム線,ナンディ。オークランド線,71年には大阪/グアム線が開設され,シドニー線は75年から直行便イL77年にはサイパン線が開設されている。一方,74年の日中国交回復によって台湾線が廃止さ:に代わりに中国線が開設されたのも大きなエポックだった。翌75年に日本アジア航空が設立され,新たに東京/台北線の運航を開始した。▲1975年日本アジア航空が設立, 9月には東京/台北線を開設したまた,70年代はジャンボ機の高性能エンジンの導入で航続距離が延び,各路線で直行便イL飛行ルートの見直しが進められていった時期でもある。まず大平洋線では,ニューヨーク線がアンカレジ経由に変更して所要14時間に短縮。ロサンゼルス線のノンストップイヒバンクーバー,メキシヨ線などの新路線開設が進み,現在のアメリカ▲1966年6月日本航空の北回リヨーロッパ便でビートルズが羽田に到着,フアーストクラスのハッピコートを羽織ってファンの前に姿を現した6.1” ゞ‘―■機艤一¨驚時;i=_:||_ .2_ ′n亀ゝ円Li 」獨観硼顧ゝ国際路線網編5