ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

70年代には騒音問題が深刻化本格的な地方空港の国際化時代ヘ国際ハブ空港の2極化時代が到来成田空港の第2期工事,羽田空港の沖合展開,関西国際空港の建設,いわゆる3大プロジェクトの完成が最重要課題として取り挙げられるようになったのは第4次空港整備五箇年計画(1981~ 85年度)からで,これらプロジェクトは第5次(86~ 90年度),そして現在の第6次(91~ 95年度)ヘと引き継がれていく。第5次での大きな変化は地方空港の本格的な国際化である。国際航空需要が急激に増加しているにもかかわらず,成田空港の発着枠はすでにほば限界に達しており,外国航空会社の新規乗り入れや増便要求にも応えられない状況が続いていた。そこで,東京,大阪以外の地方空港に対して,積極的に路線展開が行われた。当時,最も活発な動きを見せたのが名古屋空港である。それまで東南アジア方面の路線だけであったものが,ハワイ,カナダ,アメリカ西海岸などへと,長距離路線力斗目次いで開設された。このほか,千歳,仙台,鹿児島,長崎などで,ソウルや釜山,香港,グアム線など国際定期便が開設され,これに伴いターミナルビルが整備されていった。第2次空港整備五箇年計画(1970~ 75年)では成田空港の建設と大阪空港の改良が最重要課題とされたが,航空機騒音問題という新たな問題バ栞刻化してきた時期でもあった。このため,環境庁では公害対策法に基づく「航空機騒音に係わる環境基準」を73年に告示した。航空需要はオイルショック(73年)で一時,横バイとなったものの76年からは再び急増した。これは空港の整備やジェット機第1次では東京,大阪両国際空港の整備と地方空港の整備に重点が置かれた。70年代に入ってからも,航空需要は増加の一途を辿り,70~ 73年にかけては,国際線旅客は年平均25%も増加し,国内線も年平均15.3%という好調な伸びを示した。こうした急激な航空需要の増大に対応して,航空会社各社は機材の大型化を図り,70年には国際線にB747型が導入され,国内線でも日本航空が72年に東京/那覇線に就航させた。ローカル線では空港のジェット化に伴って次々とジェット機が導入されていった。12空港へと増加した。地方空港の整備が急速に進んで,全日空が近距離国際チャーター便を積極的に展開したこともあって,地方空港が徐々に注目されるようになってきた。【旅は世につれ,世は旅につれ】m化と大館能代空港(秋田県)の新設力゛決定され,仙台空港の滑走路3000m化と合わせて東北の3大プロジェクトと称されている。本来の3大プロジェクトのうち,最も注目されている成田の2期工事については,現在の空港面積を2倍に広げ, 2本の滑走路と新旅客ターミナルビルを建設すること目標とされているが,このうち新旅客ターミナルビルについては,92年12月にようや▲成田空港問題20有余年歴史の中,反対派農民と政府,空港公団などが一堂に会した画期的な「成田空港問題シンポジウム」第1回(1991年|1月)から計15回にわたって開催されたく完成,供用を開始している。懸案のB,C2本の滑走路建設については,成田空港間題が解決されていないため,まだ目途はたっていない。しかし,運輸省と反対7晨農民による成田空港問題シンポジウムで合意された事項を受けて,新たに円卓会議がスタートするなど,解決への糸口ができたため,近い将来なんらかの方向性が示されるとみられている。ちなみに,現在わが国で国際定期便が京尤航している空港は19空港あり,その年間発着回数は18万9500回,航空旅客数は3200万人も及んでいる。このうち成田空港は発着回数で61%,旅客数で62%のシェアを誇り2位の大阪に大差をつけている。国際線の乗り入れ航空会社は38カ国51社で,40カ国9儲5市と乗り継ぎなしで結ばれている。3大プロジェクトのもうひとつの目玉である関西国際空港は工事がほほ終了, 9月には滑走路1本での開港が予定されている。新空港の誕生は成田空港と並んで, 日本の国際ハブ空港2極化時代の幕開けとして注目される。また,羽田空港の沖合展開は95年までに沖合埋立地に空港を拡張する計画で,完成すれば国内線の発着枠が増大されることになる。63t▲地方空港の整備が進み,全日空は近距離国際チャーター便を積極的に実施した。写真は1979年の新潟発一番機の導入,路線の拡大が沐責極的に行われた結果である。78年には空港整備計画で最重要課題とされてきた成田空港がヽ開港直前,過激派に襲撃されるというハプニングがあったもののなんとか開港にこぎつけた。また,地方でも国際線発着空港が増加した時期もである。75年には羽田,大阪,名古屋,福岡,鹿児島,那覇,新潟の7空港であったものが,78年には成田,79年には長崎,熊本,小松,80年には千歳も加わり,1991年度を初年度とする第6次空港整備五箇年計画では,21世紀を展望した航空ネットワークづくりが掲げられ,その中心として3大プロジュクトの完成が引き続き挙げられている。事業規模は第5次より約1.7倍増加し,約3兆190研意円となっているが,このうち3大プロジュクト予算が全体の6割を占めている。また,第6次では地方空港の国際化と空港空白地域の解消を狙った空港の新設も謳われている。東」け也方では福島空港の2500第1 回蔵田空港鶴選シン,ヽジウム|山||