ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

航空需要の増大とともに地方空港の国際化時代ヘ航空輸送の基点となる空港は航空機のジェット化ヮ新機材の導入に合わせて整備拡充されていった。航空需要の増加に伴いヮ東京・大阪の2大国際空港が満杯となり,これに合わせて地方の国際化が急速に進んでいった。一方では待望の関西国際空港が9月に開港り成田と並んで本格的な国際空港2極化時代を迎えようとしている。第2次世界大戦終結時,わが国には計174カ所の飛行場があったが,1945年(昭和20年)8月に進駐してきた連合国軍によって,大半の飛行場は農耕地や塩田用に解放され,一部は占領軍に接収された。46年には連合国軍の民間人を輸送するため,ノースウエスト航空が日本/アメリカ間に国際定期便を開設,以来,続々と外国航空会社の乗り入れが開始されていった。羽田空港の拡張整備をするため,前年の12月には羽田の住民に48時間以内の強制退去が占領軍によって命じられたという出来事もあった。この結果,:敷地面積は22万1000平から78万7500平と大幅に拡張され滑走2本(2120mと1675m)を持つ大型空港が出現した。その他の飛行場についても,戦前のDC-3に合わせて,当時は1000m程度の滑走路しかなかったが,軍用機の大型化に合わせて,主要空港については,1500m以上に拡大されていった。このように,戦後しばらくは,占領軍主導の下に空港整備が進められたのである。連合国軍によって接収された空港空港整備法が制定,3つの種別に分類航空運送を確保するための必要な空港)に分類された。第1種空港としては,56年7月に東京国際空港(羽田)が1旨定されっ58年には全面返還された。大阪国際空港は58年に返還され,翌59年第1種空港に指定された。さらに60年にはDC-6Bによる大阪/香港線の運航が開始され,国際空港の仲間入りをした。60年代前半の航空界の最も大きな変化はジェット機の導入だった。60年パン・アメリカン航空が大平洋線にB707を就航させたのをはじめ,ノースウエスト航空, 日本航空など力沐目次いで導入,国際線は本格的なジェット機時代を迎えた。国内線でも全日空が64年に初めての国内線専用ジェット機B727を導入,翌65年には国産旅客機YS-11が就航するなど,次々と新型機が就航していった。新しい空の時代の幕開けであった。へとなり,保安施設や照明施設を完備した本格的な国際空港として生まれ変わった。▲わが国で初めて第1種空港に指定された羽田空港国内線,国際線用のターミナルも新しく整備され,アクセスとしての首都高速道路や東京モノレールもこの時期に開通した。航空旅客数は計約400万人(国際線83万人,国内線316万人)で,開港直後の53年の27万人に比べ11年間で約1"音の伸びを見せた。また,70年ごろには限界に達すると予測された羽田空港の処理能力を考慮して,新国際空港の設置検討が進めら,に4000m級の滑走路を持つ新空港の設置場所として66年,成田市三里塚が選定された。海外観光渡航自由化時に羽田空港が近代化1967年度からスタートした空港整備計画|現在の空港整備の基本となった空港整備法力滞り定されたのは1956年。この時,初めて民間空港の基本的な性格が,第1種(国際航空路線に必要な空港),第2種(主要な国内路線に必要な空港),第3種(地方的な62こうした航空業界の変化と航空機の発達に対応するため空港の整備拡充力寸動商されるようになり,国際空港については,大型ジェット機に対応する滑走路,誘導路,エプロンの拡張整備が必要とされてきた。より安全な航空管制を行うため,空港監視レーダーや精密進入レーダーの設置も必要さとされ´るようになった。海外観光渡航が自由化され,東京オリンピックが開催された64年には,羽田空港は3000m級の滑走路2本と1570m l本,そして3レヾ―スのエプロンを有する近代空港わが国が高度成長経済時代を迎え,国際航空輸送の重要性が次第に認識されるにつれ,空港を長期的・計画的に整備する必要性が叫ばれてきたが, これを受けて運輸省航空局では1967年度に初めて第1次空港整備五箇年計画(67~ 71年度,実際には1年早い70年度で打ち切り)を発足させ,国全体で空港整備を進める方針を打ち出した。この計画は当時の経済計画である「経済社会発展計画」の一環として位置づけられていた。現在,第6次空港整備五箇年計画が進められているが,スタートしたばかりの日本の国際空港編ヽヽ4