ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

インバウンド編東京オリンピック後の全盛時代を経て低迷,いま新しい可能性を模索わが国のインパウンドが本格的にスタートしたのは,東京オリンピックが開催された1964年から。以後ヮ全盛時代を迎えることとなリヮ外人旅行部門には社内のエリートたちが集まってきた。ジャンボ機就航に伴う海外旅行の普及を機に,業界の主流は海外旅行へと移った。インバウンドの栄枯盛衰30年である。▼外国人旅行客が情報を求めにくるJNTOのツーリストインフォメーションセンター。1961年,利用者が100万人を突破|東京オリンピックで国際級ホテルが続々誕生間違いなく1964年は,わが国のインバウンドにとっての新しい出発点であった。わが国のインバウンドを振興する中心機関として特殊法人国際観光振興会(JNTO)が発足,オリンピックに向けて,東海道新幹線が開通し,ホテル・ニューオータニ,東京プリンスホテルに代表される国際級のホテルが続々と開業した。また,わが国のインバウンドにさまざまな影響を与えることとなる海外旅行自由化の年でもある。ちなみに,この年の訪問外国人数は35万人,その半分は米国人である。64年をインバウンドのスタート年たらしめたものとして忘れてならないのは,前年の6月に制定された「観光基本法」である。インバウンドのみならず,わが国の観光事業は同法により発展の基礎が築かれたと言える。オリンピックの成功は, 日本の国際行事の運営能力に対する評判を高め,国際癌学会等の医学関係国際会議を皮切りに,大型会議の日本開催が続き, まさにコンベンション時代力涯」来した。65年に日本コンベンション・ビューローが発足し,66年には国立京都国際会言妻易がオープンしている。観光分野でも,IUOTO(WTOの前身)の総会が67年に開催され,米国旅行業者協会(ASTA)総1会が69年に開催されている。現在,PCOとして活躍している各・社がコンベンション・サービス会社として創業されたのもこの時代だった。インバウンド業界が最|も華やかだった時代だろう。旅行業の外人旅行部門は,社内のエリート集団でもあった。JTBは1964年に外国人観光客向けにサンライズ。ッアーを発売したが,65年にはサンライズ・ホリデー・ツアーとして6研1壺順ものツアーを販売している。ちなみに65年の訪日外国人数は60万人。相変わらず米国人がその半数を占めていた。この時代を語るうえで忘れてならないのは,67年が国連の国際観光年であったことだ。「観光は平和へのパスポート」のスローガンの下に,わが国でも多彩な行事が1年間にわたり実施された。また,貿易収支の黒字基調がはっきりしてきたのもこの時期である。国連は国際観光年の宣言の中で,観光の平和への貢献を謳い上げていたが1外貨の獲得という分かりやすい効用の意義が薄れていくことへの不安も囁かれ始めていた。えばその後のインバウンドは健闘したと言えるかもしれない。急増する日本人観光客を受け入れ,近隣アジア諸国に多くの新しい観光地が誕生じたことは,インバウンドから見ればアジアに競合デスティネーションが誕生したことを意味する。特に注目すべきは,中国とタイの登場だった。71年に中国が国連に復帰するや,72年には米国人の中国旅行が大幅に緩和される。日本への旅行は中国旅行の代用品という分析がまことしやかに行われていた時代である。だ力誦密かに中国に対する欧)米のエキゾチックな思いは強かった。次第にその比重が中国に移っていく。ベトナム戦争からの米軍の撤退が始まると,タイにあった米軍り詔木兵士向けの保護施設がリゾートに変身して登場してくる。たちまちタイは区炒|ヽ|チャーター便による南アジア観光のハプの位置を占めることとなった。アジアにおけるこの新しいインバウンドの流れからメリットを得たのが香港だった。バンコックから入ってくる囲1ヽ1客も,買い物と食事に香港までは足を延ばす。米国人客も中国旅行の前後に香港を訪れるといった場合である。ちなみに73年の入国外国人数を見ると, 日本の78万人に対し,タイが103万人,香港が129万人となっている。1970年, 日本航空のB747が大平洋線に就航し, ジャンポ機による大量輸送時代の幕が切って落とされた。71年に初めて, 日本人の海外旅行者数66万人が訪日外国人数66万人を追い抜くや,翌年72年には訪日外国人の2倍,74年には3倍という大きな差をつけてしまう。以来,この1対3という数字は変わっていない。伸び率だけで言6θ^0■ .1972年,海外旅行者数が外人旅行者を初めて上回る