ブックタイトル30_1964-1994

ページ
59/276

このページは 30_1964-1994 の電子ブックに掲載されている59ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

30_1964-1994

【旅は世につれ,世は旅につれ】され1600字ほどの短い通達文に“共存共栄"が6回も出てくる反面,自由競争の思想が皆無であったのは,当時の運輸省の姿勢をよく示している。70年の閣議了解事項に記述のある国際貨物航空会社の可否については,「有効な方策を早急に検討する」とあり, 日本航空に検討が委任されたが,必要なしとの回答が出され,日本郵船その他の有力船会社がその設立について同社の協力を望んだが拒否され,その結果,全日空に話が持ち込まれて83年日本貨物航空が誕生し,85年成田/サンフランシスコ/ニューヨーク線が開設された。ひょうたんから駒式の全日空系の企業設立であった。なる。こうした国際線の複数オゴ本制実現は,乗り入れ地点の拡大や路線網を充実させることになり,旅客の利便性を向上させるという利点をもたらした。一方,国内線では86年,日本航空が東京/鹿児島線の運航を開始し,国内ローカル線への参入がようやく実現した。これにより東亜国内航空を合むダブル, トリプル路線が始まった。国際線運賃については,91年6月運輸政策審議会の答申以後ゾーン制の導入を含む各種運賃の値下げが行われた。特にこの4月から導入された過当競争気味の低価格の個人運賃の,運賃市場へ与える影響について強い関心が寄せられている。ックオフヨ航空企業の競争力強化が緊急課題に1993年9月,航空企業の競争力強化のための方策について,運輸大臣から航空審議会に諮問書が出され注目を浴びた。運輸省航空局では,今回の諮間について「世界的な航空不況が続くなか,米国における巨大企業による寡占化や励ひ|ヽ1航空企業間の提携など,世界の航空界は大きく変貌しようとしている。このような状況下でわが国航空企業は懸命な合理化による体質強化を図ろうとしているが,景気後退により国際線・国内線の需要がイ申びll`み,企業の生き残りまで危惧されるような深刻な経営状態に陥っている。しかし,国際社会でのわが国の地位の高まりと共に,わが国航空企業の果たすべき役割は, ますます重要となっており,競争力の強化は緊急な課題」としている。このように緊急対策的な色彩が非常に濃くなっているが,今夏には答申が出される予定だ。航空企業の競争力の強化については,「仮に競争促進施策を徹底させるとすれば,提供するサービスの量,質,価格のすべてを完全に航空企業の判断にゆだねるという形になろう」(86年6月9日運輸政策審議会答申)といった意見があり,航空審議会がどのような答申を, 改めてまとめるかが注目される。|「航空憲法」が廃止,国際線複数体制にそれまで企業の保護育成,過当競争の廃止,共存共栄を中心としてきた国の方針が,初めて企業間の自由競争,競争原理の導入に踏み込んだのは,1986年6月の運輸政策審議会の「今後の航空企業の運営体制の在り方について」と題する答申である。それには前記「航空憲法」の廃止に伴い,半官半民の日本航空の完全民営化,複数企業の国際線導入,国内線における競争促進施策等々が盛り込まれた。全日空の長年の悲願であった国際線参入が,86年3月グアム線をはじめとして諸外国へ向けて就航が可能となった。全日空は,グアム線についで,86年7月には東京/ロサンゼルス線と日本からワシントンヘ初の直行便となる東京/ワシントン線をそれぞれ開設,さらに翌87年には中国線も開設している。東亜国内航空(現:日本エアシステム)も同じく87年に,大阪からソウルヘの初の国際チャーター便を実施している。同社ではホノルル乗り入れも希望していたが,これについては89年にチャーター便が実現したにとどまり,91年になってようやく定期便を開設できることに▲日航法廃止法の施行により,完全な民間会社に移行。新しい日本航空がスタートした,写真は「完全民営化キックオフ式典」で,山地社長(右)と利光副社長(左)。(87年|1月当時)>全日空の長年の悲願であった国際線が1986年グアム線によって開設された彎鳩ど一¨¨漁一I¨¨¨▲国際線の増加とともに海外旅行者も順調な伸びをみせていった(羽田空港)57完全民営イじ,ヽ| 饉―,...,1動・t'・‐■E=轟機朧由藍,|li|,1 ‐■ノ 」hL壼疵ユ」■・ヽLP鶴