ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

カン航空(AA),デルタ:航空(DD 2社の乗り入れが決まり,日本からは全日空(NH)の日米路線就航力゛決まるという航空業界にとっては非常に変化に富んだ時期である。相次ぐ新旧入れ替え戦は,その後に来るであろう航空各社間の厳しい統合を予感させた。1947年に東京線を開設したパンナムは,日本の旅行業界に多くの足跡を残した。同社が企画した包括旅行の「パンナム・ホリデー」をはじめ,国際航空業務知識を,戦後間もない日本の旅行業界に惜しみなく注入した。そのため,旅行業界と最も近しい“エージェント・エアライン"の尊称が付いたほどだ。そのパンナムも今はない。92年12月1日,倒産。その栄光の幕を閉じた。パン・アメリカン,イースタン,ブラニフなど各社の相次ぐ倒産劇は,「古き良き時代」の終幕であり,アメリカの航空不況を象徴しているが,こうした航空各社の厳しい経営環境はヨーロッパにも飛び火している。現在も外国航空会社間のクロスオーバーな合併・企業提携が行われているのは周知の事実である。その兆しは,すでに1980年代中盤から始まっており,これが90年代の航空再編成に尾を引いている点力ヽ主目される。▲“世界の翼"として親しまれてきたバンナム。ラストフライトを迎える日がやってくるとは…ギャルが支えたテン・ミリオン計画「3人寄れ|ルヾり。コン・ハワイ」。職場で,OLが3人集まれば,バリ,香港,ハワイと海外旅行の話題に花力卸咲くという例えだ。海外観光渡航自由化初期の旅行者は,年配層が中心であった。旅行商品が高額で,ヤングの収入では負担し切れなかったからである。しかし,1980年前後からはヤングレディが徐々に勢力を伸ばし,シルバー層にとって変わる。そして,旅行形態もかつての名所,1日跡巡りの周遊型パターンから,マリーンリゾートを中心とした滞在型のバカンスツアーに人気が出てきたのも80年代の特徴。グアム,ハワイ,バリ,タヒチ,フィジー,証ではノウヽマ,カリブ諸島,プーケットなどがその対象である。そしてこの主役を務めたのがヤングOLを中心としたヤングギャル世代である。いわゆる「リゾート滞在型」が好まれ始めた。これを統計で見ると,海外旅行者の構成比率は,総数では男性が多いが,女性の伸長率は年を追って上昇し,90年代になると15歳以上29歳の女性層は男性を上回っており,特に20~ 24歳までの世代では女性が男性の2倍近い数値となる。こうした傾向は,所得向上と労働時間の短縮という社会環境と相まって,女性の海外旅行熱に拍車を掛ける。かつてヤング女性層の海外旅行は,新婚旅行が主流を占めていた。ヤングレディは結婚適齢期の顧客層であったわけだ。現在では,20~ 29歳,あるいはナイスミディで総括される30歳代の女性を合めた女性層は,独立した需要形成層として成長を続けている。1987年,運輸省提唱による「海外旅行1000万人計画」(5年計画分)が発表さ,に事実上の目標は早期達成されたが,その中心となった女性パワーの貢献度は見逃せない。参考までに1990年海外渡航者を男女年代別で比較すると,20~ 24歳の男性43万2125人に対し,女性は78万2748人に上る。リカ市民の願いを込めたリボンが,サンタモニカの潮風にたなびいていた。湾岸戦争が旅行業界に及ぼした影響も大きかった。世界的な景気後退,そしてこれに続くバブル崩壊に伴う複合不況。こうした悪要因が海外旅行の需要停滞の要因となった。そして,事象的には格安航空券の市場氾濫,激安ツアーの乱売という悪循環が旅行業界を混乱させた。現在の需要低迷の要因の|つに,消費者のパッケージ離れが挙げられている。だが,これは単にパッケージ商品のみに限られた現象であろうか。現在の状況は「海外旅行飽食の時代」である。過去30年で延べ|億2000万人を超えた日本人海外旅行者は,旅行熟練度の向上と, リピート体験の蓄積により, 自己の嗜好に合った旅行でなければ参加しない。海外旅行初期のように,旅行会社主導の時代から,旅行者主導の「選択の時代」に進んでいる。これが自由イじス後の大きな変化である。そして,30年を過ぎた94年4月1日に,個人旅行者向けの新たな航空運賃が発効したという事実は,偶然の符合とはいえ,改めて時代の推移を感じさせられる。過去30年間に築かれたマスツーリズム時代は,日本人の海外旅行を,かつての外遊,洋行という特殊な差別状況から「海外旅行1000万人時代」という大衆化への道を開拓した。だが,そのために行ったマスプロダクトベ旅行商品の質的純度を均一化するという欠陥をも生んだ。これは今後の反省材料でもある。将来的に見た場合, 日本人の海外旅行者は,今後も増加傾向を辿ることは確かである。だが,その旅行者をどう取り込むかが,旅行産業の直面している課題だ。今回の個人向け新運賃の実施も,すべての旅行者がFI可しすることを意味しているのではない。あえて「個」に絞るなら,団体であれ,パッケージであれ,それに参加する旅行者の「個々」に対して本当に満足のいく良質の旅行づくりを提供していくことができるかどうかにかかってくる。過去の反省の上に立った新たな商品創造こそ,21世紀へ向けて旅行業界の進むべき王道ではなかろうか。▲OLなどヤング女性層が旅行の伸びを支えてきた●総括編湾岸,ノヽブル崩壊そして20世紀への反省を踏まえ旅行創造の王道を行く1991年2月,アメリカの街並みは一斉に黄色いリボンで彩られた。湾岸戦争の終結,平和の回復を願うアメF彎「纂目■ヽJ■日「豪r轟トー霧F」ヽ.剛畷副″‐ ・` ■』.1」」.1,刷LムLF