ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

lれ,依然として海外旅行の主役の座を占めている。しかし,新たに誕生したパック旅行という旅行形態は,時代のトレンドとして海外旅行者の人気を集め始めていた。そして,この航空会社主導で誕生したパック旅行という形態は,その後,業界の変革に伴い,徐々に旅行会社イニシアティブのパック旅行に移行して行く。▲1965年4月ジャルパックの第1陣(ヨーロッパ16日間)が出発したほど多くの恩恵を与えたか計り知れないものがある。プロペラ機からジェット機への移行は日本人海外旅行者の行動半径を広げると同時に,旅行目的地(デスティネーシヨン)の選択肢を大きく増大した功績がある。そして, これに伴い旅行代理店も,従来より多彩な旅行商品を生産できるようになったいわゆる航空産業の旅行商品造成のための引き金の役割を果たしている。日本人の海外旅行目的地に対する志向を見ると,初期にはハワイ, ヨーロッパが中心であり,近隣諸国では香港,台湾などのアジアナυ或そして米国西海岸販売を契機に米本土へ延び, さらにオセアニア人気が高まり,中国旅行開放というのが概略の経緯である。そして,これにプラスされるのが中東,アフリカ,1日ソ連,東欧などの諸国。したがって,航空機の高速化は年を追うごとに旅行商品の選択の幅を拡大する結果を生んだ。▲ジェット機の導入とともにデステイネーションも拡大,東欧やアフリカなどが次々と商品化されていった高速化から大量化への直行路線ジャンボジェット機は1970年代航空旅行発展の象徴である。航空機の高速化の次に進行したのが大型化である。その切り札と言えるB747型ジャンボジェット機の登場は,「大量高速輸i)針代」を一気に現実化させる。現在使用されているL1011,DClo,A300などの広胴型機材群がこれを追う。それ以前の主力機材は,B727,B707,DC8などの中型ジェット機が主流で,座席数も160~ 200席程度。これが,ジャンボジェット機の登場により,一'i争に350席から最大450席に増えた。このため,旅行代理店は大量の旅行者の集客する努力が倍加すると同時に,その旅行手配業務に対処するため徐々にコンピューター管理に移行する。その意味では,パン・アメリカン航空のジャンボ1番機力涼1帰虎した1970年3月11日以降,1980年にかけては,旅行業界にとっても大量旅行時代がもたらした技術革新の時代と言える。●旅行流通時代編バルクIT運賃はホールセーラー輩出の起爆剤の役割を果たしたジャンボジェット就航を目前にした1969年,座席の一括買い取り制とも言うべきバルクIT運賃が発効した。この運賃を活用すれば旅行商品は従来の半額で売り出せる魅力がある。パッケージ旅行の量販を目指して,各社は旅行商品卸売り専業のホールセーラー設立を目指す。旅行業界の構造変化には,航空運賃の変化が要因になるケースが多い。これは日本の場合,海外旅行経費の中で航空運賃の占める比重が大きいからである。1969年,世界の主要航空会社によって構成されている国際航空運送協会(IATA)は,ァジァ, ヨーロッパ,大平洋を対象とした座席の一括;購入制度とも言うべきバルク運賃(Bulk IT Fare)の導入を決めた。この運賃は旅行会社が航空会社から,40席(または25席)単位で座席を買い取るシステムで割引率も大幅であった。この運賃を適用すると,従来は60万円であった[り|1旅行が30万円に,ハワイ旅行は30万円が15万円で販売:できるという利点が`ある。 しかし,同時に旅行会社は40席を売り切るというリスクも背負うことになる。こうした新運賃の導入は,従来の3倍の搭未能力を持つジャンボジェット機の就航を見込んだ運賃政策であり,これによって世界の航空旅客市場の需要拡大を意図したものである。例えて言うなら,ジャンポとバルクは親子丼の関係である。このバルク●大量高速輸送時代編プロベラからジエット,そして,ジャンボ時代への急上昇は続く早くて遠くへ行けるほど旅行者は得した気分になる。今年,国際線就航40周年を迎えた日本航空の第1便は,東京/ウエーキ(整備着陸)/ホノルル/サンフランシスコ間をDC6B(36席)で31時間かけて飛んだ。現在の飛行時間は約8時間。約4分の|に短縮された。スカンジナビア航空は1954年(昭和29年)に南回りで日本へ就航しているが,プロペラ機のDC6 Bで,ストックホルム//羽田間が56時間。これに乗った同社の社員は,「羽田に降り立った時に地面が盛り上がってくる感じだった」と言う。機内に長時間座るために疲労度は蓄積される。こうした障害を解決するため,同社では北極圏経由のポーラールートという世界航空史上でも画期的なルートを開発している。この同じ路線が今では|!時間30分に短縮されている。このポーラールートとシベリア経由ルートは,日本人の海外旅行にどれ53ヽ電1量バルク運賃とジャンボは親子丼= 幻 011.羮□:ン