ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

|●海外渡航自由化前史|ヤミドル調達で産業視察旅行を日出した戦後の海外渡航不自由化時代1945年,大平洋戦争の終結に伴い,日本人にとって長い「現代の鎖国」が終わった。だが,焼土と化した日本の国土に第一歩を印した外国人客は, コーンパイプを加えて厚木飛行場に降り立ったマッカーサー連合軍最高司令官であった。戦後の占領時代の始まりである。1945年8月30日,連合軍最高司令官マッカーサー元帥は腰に拳銃を下げ厚木飛行場に降り立った。日本交通公社(JTB)は外務省の要請を受け,渡辺乙兵衛氏以下10名の社員を厚本に派遣し横浜のニューグランドホテルまで誘導した。「これが戦後最初の“外客"のあっ旋である」(日本交通公社七十年史)と記録されている。この占領時代の旅行業務は,主として米軍基地,司令部,PX(軍専用売店),赤十字社,接収ホテルヘの社員派遣により,進駐軍将兵,家族の国内請負旅行のあっ旋,週末旅行の添乗などが行われており,47年時点の同社の取り扱いは17万人を超えている。いわゆるチューインガムとジープの進駐軍時代である。九の内周辺も今とは違い,郵船ビルなどの主要ビルは相次いで進駐軍に接収され,軍関係のオフィスに様変わりしている。日本交通公社にしても,当時は木造2階建ての質素な本社であった。1950年以降になると,基地内の米軍将兵,家族の米国内の交通機関のあっ旋,航空券の代売業務も開始されており,当時の旅行会社の大きな収益源となった。一方,占領下の日本人の海外渡航は,64年の観光渡航自由化以前は,官公用,学会参加,産業視察,スポーツ交流,留学,戦争花嫁など,ごく限られていた。1951年,講和条約の発効とともに,旅券の発給権は連合軍最高司令官から日本政府に移管された。しかし, この時点の海外渡航には外国為替管理法の下で外貨枠の承認をとることが先決。関係各官庁の委員によって構成されている「渡航審査連絡会」の審査をパスしなければならない。この書類作成と連絡業務の繁雑さに当時の旅行業界人は苦労の連続であった。こうした環境が1963年4月の業務渡航大幅緩和に至るまで続く。特に苦労したのは渡航者の不足分を補うヤミドルの調達。当時は外貨換算1ドル/360円時代。これを裏ルートを通じて400円前後で集めてくる。このため外国為替管理法違反で旅行代理店社員が検挙される事態が発生している。日比谷。日活ホテル(現在日比谷パークビル)に日本支社を構えていたツアーオペレーターの老舗, リソーネ・リンデマンにも6人の刑事が踏み込んだ。その後, 2カ月の取り調べを受けた結果,無罪となったが,同社の秘書を務めていた多田幸子さん(現クラウン・インターチェンジ・プログラム代表取締役社長)は,「ちょうどテレビで“7人の刑事"が放映されていた頃ですが,本物の刑事は初めて。足がガクガク震えました」と当時を回顧する。こうした「海外渡航不自由化時代」を経て,1963年の業務渡航枠の大幅緩和,翌64年の海外観光渡航の自由化へと事態は進んでゆく。▲戦後問もない頃の日本交通公ネL本造で2階建ての質素な本社だった●海外観光渡航自由化編海外観光渡航自由化の1964年1964年4月1日。海外観光渡航が自由化された。この年は,東海道新幹線の開通。東京オリンピックの開催など,活気に盗れ,日本経済にとっては高度急成長の幕開けともいうべき華やかな年であった。4月1日,政府は日本人の海外観光渡航を,年1回,持ちだし外貨枠500ドルの制限付きで自由化している。当時の円。ドルの交換レートは|ドルが360円。18万円に相当する。海外観光渡航自由化と同時に,長年待ち出した日本人旅行者は,羽田東京国際空港から続々と海外へ飛び立って行く。くアテネから沖縄へ。日本航空は万―に備えて予備の聖火も運んだ(1964年)レ記念すべきハワイ観光ツアーの第|3単 バン・アメリカン航空を利用して出発したハワイヘの第14月8日,ハワイに出発した日本交通公社(JTB)主催の「第一銀行ハワイ観光団」の旅行費用は, 7泊9日でハワイ4島を巡り36万4000円。当時の大学卒の初任給が2万円程度。海外旅行は高額商品であり,当時,三種の神器と言われた家庭電化製品のテレビ,電気冷蔵庫,電気掃除機と上瞬交された贅沢商品であった。したがって,今から30年前の1964年に行われた海外観光渡航解禁は,誰もが自由に海外へ行ける「海外旅行元年」であり,旅行産業にとっても本格稼働の年となっている。同年5月には,藤田,阪急名鉄,南海東急5社共催の「フアイブスター・ハワイ旅行団」の第1陣が出発している。51外人旅行客あっ旋第1号はマ元帥驀I ECrty ol TokYo'