ブックタイトル30_1964-1994

ページ
30/276

このページは 30_1964-1994 の電子ブックに掲載されている30ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

30_1964-1994

″:ぢ″ピルッコ・ハンヌラ氏ヨーロッパ観光委員会(ETC)日本支部会長(フィンランド政府観光局日本・韓国。東南アジア・オセアニア地区代表)ヨーロッパでも日本式サービスが必要でしようか?私が,フィンランド政府観光局の日本支局開設のため来日したのが3年前のこと。ETC(ヨーロッパ観光委員会)日本支部会長には,今年初頭に選任されました。1974~ 93年までの訪欧日本人旅行者今年,海外旅行自由化30周年を迎えた日本ですが,1964年には日本人の海外渡航者はわずか12万7749人でした。それが,1980年代後半の海外旅行ブームに乗って,この30年間に1200万人市場にまでなろうとしています。1964年という年をヨーロッパの視点から統計的に見ますと,国によって数字の取り方が訪間者数だったり宿泊数だったりしておりますので,いちがいに比較できないのですが,1964年当時, 日本人に人気のあったデスティネーションは下記の通りでした。1.西ドイ`ソ 6万5447泊2. スイス 4万1982泊3.英国 2万2800泊4.オーストリア 1万535泊5. スペイン ・ 6672泊6。 アドルトラゲル 1699,白7。 トルコ 893,自当時,これら7カ国がランキング・リストに載っており,西ドイツがトップでした。1974年には,この順位に変動が起き,イタリアがトップとなり21万2600泊, 2位が西ドイツの20万3638泊, 3位がスイスの17泊7908泊,そして4位に英国の16万7000泊が続くといった具合になりました。それから10年後の1984年, トップがフランスとなり44万7843泊,次いで西ドイツの41万296泊,そしてイタリアの34万泊,スイスの28万931泊の順となりました。この間の20年間,ヨーロッパの国々でよく見かけたのは,肩にカメラを掛けた日本人ビジネスマンでした。それがこの10年間で,ヤング・レディー,40歳代の女性,シルバー・カップルに取って代わられました。現在, 日本人海外旅行者総数1190万人に占めるヨーロッパのシェアは12.2%に当たる110万人ほどで,フランスが年間80万人強,英国とスイスがそれぞれ50万人強の日本人旅行者を受け入れています。ETCの役割ETC日本支部は1974年に結成されました。日本に進出したヨーロッパの政府観光機関としては,英国が一番早く1965年のことです。次いでイタリアが1966年にオフィスを開設しました。各国政府観光機関の代表の多くは,数年間の在任期間の後,次の赴任先へと転出してしまいますが,その中でヨーロッパのプロモーションに尽力した人物といえばスペン政府観光局のパブロ・ムーイエル日本支局長を挙げないわけにはまいりません。同支局長はほぼ30年間, 日本でスペインヘの旅行者誘致にたずさわってきました。もう一人が,ベルギー政府観光局の宮下南緒子日本支局長です。同支局長もほぼ20年間にわたり,活躍してきました。ですから,新たに日本へ赴任してきた他の国々のETCメンバーにとって,2人の長い経験が大いに役立っています。ETCは,在日外国政府観光局代表協議会(ANTOR)の下部組織として設立されたものであり,主たる目的はヨーロッパの旅行産業と協力し,また相互に情報交換を行うことによって, ヨーロッパの観光を共同でプロモーションしようというもので,各種の調査なども行います。現在,ETCメンバーは24カ国に及びますが,そのうち18カ国の機関が日本(主に東京)にオフィスを持っています。1980年代そして90年代初めの頃には,ETC本部が日本市場向けにプロモーション費用を拠出していました。それによってETC日本支部は,業界向けにニュースレターやヨーロッパ・トラベル・ガイドの発行,セミナーや各種ショーの開催,ビデオの制作などを行うと同時に,一般消費者向け活動として広告の出稿や地方都市でのセミナー開催などをいたしました。今日, ヨーロッパのシェアはわずか12%程度と非常に少なく, 日本人旅行者にいかにヨーロッパヘの興味を持ってもらうかが,私どもの課題となっています。28」d●