ブックタイトル30_1964-1994

ページ
26/276

このページは 30_1964-1994 の電子ブックに掲載されている26ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

30_1964-1994

″'ぢ″消費者動向に常に敏感であれ過去30年間の軌跡1964年の海外観光渡航自由化以来,オーストラリアは非常に多くの日本人観光客を迎えており,特に過去10年においては,素晴しいものがあります。私が日本に初めて赴任してきた1978年には,カンタス。オーストラリア航空も日本航空も, まだ毎日便を運航するには至っていませんでした。それが今日, 日本/オーストラリア間には航空会社4社(カンタス。オーストラリア航空,日本航空,全日空,ノースウエスト航空)が毎週60便もの定期便を運航するまでになっています。さらに,関西国際空港の開港に伴うアンセット・オーストラリア航空とニュージーランド航空の参入で,キャパシティーは25%も増えるものと予測されます。また,オーストラリア側のグートウェイ都市も増える傾向にあり,従来のパース,ケアンズ,ブリスベン,シドニーに加え,今年3月には新たにダーウィン線も就航しました。それにつれ,日本市場で果たすATCの役割もさらに重要になってきました。オーストラリアに多大な支援を続けてくれる日本の旅行業界や航空会社の積極的な姿勢に対し,ATCもオーストラリアの認知度向上を目的として近年,一般消費者を対象とした広告活動やPR活動を展開しております。そうした日本の業界,航空会社,オーストラリア側の州やテリトリーの観光機関,そしてATCと可愛いコアラの人気が一体となった協力態勢のもとで,オーストラリアは日本人が最も行きたいとするデスティネーションとなり(JTB調べ),シェアも海外旅行者市場の6%を占めるまでになりました。オーストラリア国内の州およびテリトリーの各観光局との共同による業界向けプロモーションや研修旅行なども,最重要項目となっています。1994~2000年への展望1994年は日本の旅行産業および一般消費者にとって,A.G.ヴィリリ氏オーストラリア政府観光局(ATC)日本局長転機の年となるでしょう。一方で長引く不況の下,新政権の登場で消費者の間には諸物価の値下げや新航空運賃政策,そして9月に予定されている関西国際空港の開港に大きな関心が集まり,そうしたことが航空会社に運賃の値下げを促すことになりました。さらに新たなキャパシティー増も期待されます。他方,関西国際空港の開港に伴う巨額の諸料金負担は多くの航空会社から反発を買い,開港数力月前になっても便数を確定しない航空会社も多く, どれだけキャパシティーが増えるかも不確定です。しかしながら,オーストラリア路線については,キャパシティーが25%近く増えるものと思われます。こうして増えるオーストラリア路線の全便が,ブリスベン//ゴールドコーストとシドニーをゲートウェイとしていることから,他のデスティネーション(例えばキャンベラ,メルポルン)や商品素材(例えばコンドミニアム,サービス付きのアパートメント)が,この機会を利用し, さらなるステップアップを図らない限り, ゴールドコースト地域に過度のインフラストラクチャー整備の負担がかかってくると思われます。関西国際空港への乗り入れ計画を持つ航空会社の多くは損失党悟と言われておりますが,新航空運賃の導入と航空会社間の過当競争によって生み出される新規需要がどれほどあるのかは,大変興味のあるところです。日本人海外旅行者全体に占めるオーストラリアのシェアはわずか6%に過ぎません。市場で起きている日本人の旅行パターンの変革に対しオーストラリアがいかに柔軟に対応できるかは,これからの課題です。日本人の旅行回数が増え,パッケージ離れの傾向が強まるにつれ,消費者の旅行商品に対する知識は深まり,高品質。本物志向への欲求は従来にない高まりを見せています。1993年にオーストラリアを訪れた日本人は67万人ほどでしたが,ATCでは2000年には180万人にまで増えるだろうと予測しています。2′T       ■″       調F豚」lτ」L綸選