ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

旅イテ業界1994世界経済の動向が産業内に色濃く反映◆ ◆旅行産業の中で,一番古い歴史を持つのがホテル業。マルコポーロも芭蕉も,“旅の宿"には随分お世話になった。昨今では,旅の疲れは宿でとる形から,ホテルそのものが旅の目的となる時代が到来。時代の要求に応えるように,ホテル業もサービス産業からホスピタリティー産業へと変身。バブル崩壊後のホテルは,再び大きな転機に差し掛かつている。ホテルで体験するカルチャーショック畳に布団を敷く生活からベッドの生活へ,それが海外旅行でもあった。相手国のビジネスマンと直接チョウチョウハッシとやり合う業務渡航と異なり,団体旅行やパッケージ参加の観光旅行では現地の異文化と肌で接するチャンスは少ない。そんな異文化が体験できる場所,それが宿泊先のホテルであった。それは多くの日本人にとって衝撃的とも言えるカルチャーショックでもあった。ところが,悲しきかな外国語が苦手な日本人はホテルに入っても観光をする。記念写真の好きな日本人は,ロビーでもレストランでもバチバチとフラッシュを焚いて写真を撮りまくる。ホテルは観光遺跡の一部でもあったのだ。超一流ホテル好みは,こうして始まった。旅行は日常からの脱出と言うならば,ホテルは文字通り非日常性が体験できる場でもあった。そうしたホテルが, 日本人にも身近に感じられるようになったのは,東京オリンピックに合わせて,大型ホテルが続々と建てられた1964年。巷では「第一次ホと海外市場をメインターゲットとするヒルトン・インターナショナルに分離。その後,両者は「ヒルトン」の名前を巡って係争することになる。結局,それぞれが相手市場に参入する際は「コンラッド」と「VISTA」の名称を使い分けることで決着したが,生みの親であり「ホテル王」でもあったコンラッド・ヒルトン氏は草葉の陰で苦笑しているかもしれない。いずれにせよ,この事件は,ホテルとはイメージと格式で売れる商品であることを実証した。それがゆえに,ホテルはイメージの高揚と格式保持のため汗を流すことになる。ホテル業は,歴史の古い産業でもあるが,同時に時代の先端を行く産業でもある。それは,ホテルそのものが売買の対象とされてきたこともあって,直営,受託経営,フランチャイズ方式など, さまざまな経営形態があるうえに,オーナーの意志で所有者はおろかホテル名,経営会社,予約先まで変わってしまうことがさして珍しくないからだ。そこで働くホテルマンたちも,有利な条件であれば世界中どこへでも行く。ヘッドハンティングが,昔から行われていた世界でもある。また,人事の移動が激しいことから,ノウハウの蓄積を早くからコンピューター化しようという動きも活発だった。実際,航空会社がコンピューター導入を決めるずっと以前から,ホテルはコンピュ22子ホテルテル・ブーム」と言われ,海外観光渡航が自由化された年でもあった。ジャンボ機が就航し,大量輸送時代に入ると, 日本経済の高度成長に歩調を合わせるようにドシドシ日本人観光客が海外に出掛けるようになる。大挙して押し寄せる日本人観光客は,クレームも少ないし金払いもイイ。日本人観光客が世界のホテルにとって上得意となるのに,それほど時間はかからなかった。ホテルマンの日は日本市場に向けられ,巨額の宣伝費用が投下された。ひと頃は航空会社のそれを凌いだ。なかでも, ヒルトン・ホテルは早くから日本市場の開拓に本腰を入れていた。「ヒルトン・スタンダード」と呼ばれる均一化したサービスの提供が, 日本人に受けたのである。世界どこへ行っても,ヒルトンの名前があれば一定した高品質のサービスが受けられ,当たり外れが無いという安心感がホテル選択をする旅行業者側にもあった。こうして海外観光渡航自由化以来,「ヒルトン神話」が長く続くことになる。しかし,ヒルトンは60年代に,米国内を網羅するヒルトン・コーポレーション