ブックタイトル30_1964-1994

ページ
224/276

このページは 30_1964-1994 の電子ブックに掲載されている224ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

30_1964-1994

▲JASTA加盟の船舶会社は,94年3月1日現在で20社アラスカ・クルーズに出航するクラウン・プレリンセス号(左)とリーガル・プリンセス号の姉妹船ルーズ商品を販売。2人から催行としたこともあって,新婚・熟年のカップルに人気を呼んだ。また, 9月には海のロールスロイスと言われたノルウェージャン・アメリカ・クルーズ社の「サガ・フィヨルド号」も横浜に寄港。これを機に同船を日本で販売したクルーズ・インターナショナルが横浜大桟橋に日本の旅行業界担当者多数を招き,クルーズ研修を実施すれば,翌84年にはソ連の豪華客船「ミハイル・レールモントフ号」も世界一周航海で横浜に寄港。日本の総代理店であった東洋共同海運も旅行代理店の担当者100人ほどを招き,船内視察を実施するなど,業界内外でクルーズに対する関心が高まった。同じ年,ロイヤル・バイキング・ラインは,カリブ,アラスカ航海参加者に次回のクルーズ参加の際に割引を適用しようという「ツー・ステップ・プロモーション」を発表している。クルーズ。デスティネーションとして今日人気ある顔ぶれが,この頃にすべて揃った。もう1つの注目すべき点は,この頃から世界のクルーザーに日本人が勤務するようになったことである。ロイヤル・バイキング・ラインが日本人初の女性パーサー・アシスタントを採用すれば,ユーゲ海クルーズを中心に豪華クルーザーを運航する川崎汽船(Kライン)でも日本人客の多いクルーズ船に日本人女性アシスタント・クルーズ・ディレクターを乗船させた。半面,業界のこうした加熱ぶりに対し,消費者サイドは笛吹けど踊らずの感がまだまだ強く,商船三井客船はこの年,クルーズ市場は約5000人ぐらいとの見通しを明らかにしている。モチベーションの模索と顧客ニーズヘの対応「クルーズ元年」と言われた1989年,商船三井客船の「ふじ丸」と昭和海運の「おせあにっくぐれいす」が就航した。90年に入ると日本郵船の「クリスタル・ハーモニー」,川崎汽船の「ソング・オブ・フラワー」, 日本クルーズ客船の「おりえんとびいなす」,フロント・クルーズ。ジャパン(日本郵船系)の「フロンティア・スピリット」,そして商船三井客船の「にっぱん丸」が次々と就航。さらに91年には日本郵船の「飛鳥」が就航と, 日本の船会社がクルーズ事業に本格的に乗り出してきた。時,折しも日本はバブル全盛の時代である。「どうせやるなら世界一の客船を」と造った「クリスタル・ハーモニー」は,4万9400総トン(定員960人)と,世界の豪華クルーザーにひけを取らない。しかし,バブル崩壊後の日本にはそうした供給を満たすだけの需要がないのも事実。供給過剰と言われる所以である。また, 日本近海では通年ベースでクルーズ運航するには少々無理がある。実際,冬の日本海の荒れ方は,クルーズ向きとはお世辞にも言えない。 1週間毎日,服装を変えるほどの旅を日本人は今までしたことがない。また,それができる日本人がどれほどいるだろうか?こう考えてみると,現在の供給過剰は船会社の見通しの甘さが大きな原因の1つでもある。客船の大きさや旅程によっても異なるが,大まかに言って豪華客船の乗船客1人にかかる1日の原価は6万円ほどと言われている。それを,現在1日3万円で売っているようなものというから,明らかに原価割れを起こしている。他方,フライ&クルーズを企画しても,欧米のように船会社に航空会社から座席をプロックして仕入れるだけの力がない。と言うよりは,フライ&クルーズ用の航空座席を旅行会社から仕入れているのが現状である。そうは言っても,確かにこれからの海外旅行を考えた場合,クルーズは旅行業界にとって最も大きな成長が見込める市場であり,最も有望な商品であることには間違いない。「飛鳥」の36日間オセアニア・グランドクルーズ(100万円~)はウェイティングが出た。また,95年の世界一周クルーズ(3カ月間,300万円~),「にっぽん丸」のカリブ/アラスカ。クルーズ(180万円~)も発売と同時に仮ブッキングが殺到するなど,従来のクルーズ市場とは異なった反応が出てきた。それは新しい旅の形であり,航空機を利用した旅行では味わうことのできない時間と空間の楽しみである。年間350万人市場と言われる米国のクルーズ・マーケットが成功した秘密はどこにあるのだろうか?「クルーズ元年」の1989年には, 4万人ほどだった日本人クルーズ利用客も,その後,毎年2桁台の伸びを示し,1992年には海外クルーズのうち日本船で約4万6000人,外国船で約3万人。これに国内クルーズ利用者12万人を加え, 日本のクルーズは20万人市場と言われている。日本外航客船協会では日本のクルーズ人口は97年に,海外。国内合わせて50万人市場になると見ている。その実現に向けて今,何をすべきか。第1のヒントは, リンドブラッド社長222鶴恥□_ l i.IJASTA隋悠一殉,ずム」象Rヽ・‥■: ネi■ 1‐ ‐ ・ヽDRLヽヘ譴