ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

▲全日空のシステム「able」のホストコンピューター航空のCRS「セーバー」と結合を完了。国際線で出遅れた全日空のCRS機能は,世界最大規模を誇るCRSのバックアップを受け,一挙にスケールアップ。ところが,その年の5月に本家のアメリカン航空がダラス/東京路線を開設し,直接日本市場に参入してきた。10月になるとユナイテッド航空の「アポロ」が念願のBSP発券を開始。BSPが2本建てとなったことで,業務の省力化・効率化を最大の売り物に登場してきたCRSが,意に反して流通サイドの混乱を巻き起こすことになった。運賃精算の一本化が崩れたことで,航空会社と旅行会社の利害が表面化,CRS導入は両刃の剣であることを露呈した。偶然にも,「アポロ」がBSP発券を開始した10月1日に,JALCOM IIIは旅行商品(ホールセール商品)の予約。解約が可能な「ツアー・システム」と「代理店支援システム・フェーズI」(DS‐ 1)を稼働開始。また,東亜国内航空(現在の日本エアシステム)も総合情報システム「スカイコール」を稼働させる。現在,業界内で利用されているCRSがこの時にすべて揃った。とりわけ,DS‐ 1の稼働はCRS普及に大いに貢献した。それまで販売ツールとして考えられていたCRSが,企業の経営管理にまで進出してきたのである。経理処理にまで利用範1囲が広がったことで, 中小の企業にもCRSを設置しようとの動きが活発になり,なかには経理事務の省力化のためCRSを導入する企業も現れた。航空券の未収入状況はもとより,月間売上, さらには各営業マンの成績一覧まで瞬時に取り出せるCRSは,もはや予約システムとしての存在ではなく,経営の業務全般に使えるツールにまで成長した。使う情報から売る情報ヘ「業界の公器」としてCRSが一般的に認知されたのは1988年。JALCOM IHがグレードアップして「アクセス」と改称。「リザーナ」も機能を強化し「Able」に改称。近畿日本ツーリストのオンライン。システムが「アポロ」と結合。日本旅行のオンライン・システムは「セーバー」と結合,JTBの「トリップス」も「セーバー」と結合するなど,大手。中小を問わず旅行会社によるCRS利用が急ピッチで進んだ。2年後の1990年には「アクセス」がサテライト発券システムを稼働すると同時に,「アポロ」とダイレクトアクセス,「セ―バー」とのトータルアクセスも完了。もはや情報戦略の「公器」となったCRSは,必然的に航空会社の手を離れ独立した会社組織として運営されることになる。米国でもバイアス(自社便優先策)を排し,中立的立場からCRS専門の独立した運営会社として歩み始める。グローバル・システムヘ拡大「アクセス」はアクセス国際ネットワークとして,「アクセス旅行傷害保険システム」,「アクセス・ッアーリンク」など新分野を開発した。一方の「Able」は,東南アジアのキャリア8社が運営するCRS「アバカス」と共同出資してインフィニ・トラベル・インフォメーションを設立。これに米国のノースウエスト航空とデルタ航空が運営するCRS「ワールド・スパン」が参加,さらに英国航空,表会2r8▲アクセス国際ネットワークによるAXESS‐ LAN発表会(1993年8月)啜駿』墨岬同亀 :■■b1苺1111.一」織システム一年   ヽ一 ●    ´ 一ぽ麟・      ・一鶴■」腰瞬ヽ●   ■ ■´一 碕″薄_〆■■■¬_1辱~‐“″口いヽ,