ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

を挙げた。西海岸コモン・レートではなく,マイレージ(飛行距離)を基本にした運賃導入を考えたのである。1987年,同社はシアトル路線テコ入れのため米国内線の周遊券UAコンポの導入を決める。UAの大平洋線利用客にのみ適用されたため,差別的運賃として他社の非難を浴び,やがてその効力を失った。自社路線をフルに活用するという考えはその後,「ハブ&スポーク」という形となって表れてくる。やがて, 日欧の航空会社にとりこの米国内路線は,営業展開に当たって大きな壁となって立ちはだかることになる。米国内では,乗り放題運賃(アンリミテッド・マイレッジ・フェア)も登場。マイレッジの加算に応じボーナスを提供するフリークエント・フライヤー・プログラム(FFP)も,こうした旅客獲得策の1つとして生まれた。文字通りUAは,「マイレッジ・プラス」をこのプログラムの名称としている。米国キャリアの低運賃攻勢にさらされた大西洋路線では,チャーター専門会社をも巻き込んだ値引き合戦が展開され,防戦一方だったヨーロッパにも低運賃を目玉にした新規参入のレーカー航空などが新風を巻き起こした。こうしたことを背景に,ヨーロッパでは国を超えた協調態勢が次第に整うようになる。その典型がKSSU(KLMオランダ航空,サベナ・ベルギー航空,スカンジナビア航空,UTAフランス航空の4社協力)とATLAS(アリタリア航空,TAPポルトガル航空,ルフトハンザ・ドイツ航空,エールフランス,スイス航空の5社協力)に代表される航空会社間のコス卜削減を目的としたグループ化である。双方とも保有機材のメンテナンスを共同作業とし,コストダウンを図ろうというもの。ヨーロッパ大陸では,ベネルクス3国を手本とした市場統合の動きに加速がつき,インナー。シックス,アウター・セブンと言う現在のEU(ヨーロッパ連合)の原形EEC(欧州経済共同体)が形成され,EC(欧州共同体)へと発展する。ヨーロッパを単一市場に統合しようという動きは,当然,航空界にも国境を越えた生き残りを模索させることにもなった。これを決定的にしたのが1989年のベルリンの壁崩壊である。東西冷戦の終結で,人と物の流れは流動性を増し,統一市場後のシェア獲得に向けすべてが動き出すことになる。競合他社との業務提携,コードシェアリング,資本の相互保有など企業防衛に向けたグループ化が進む一方,地域的な殻を打ち破リグローバル化を目指す航空会社も現れてくる。その典型例が英国航空(BA)。1988年にブリティッシュ・カレドニアン航空を合併し英国内のシェアを絶対的なものとしたBAは,91年ににエア・ロシアを旧ソ連1本Iに設立, 翌92年1こはドイ`ソにドイッチェBAを設立, またフランスのTATヨーロピアン・エアラインズやオーストラリアのカンタス。オーストラリア航空の株を取得,93年には米国内第4位のUSエアと業務提携・コードシェアリング・株取得と,グローバル・エアラインを志向する。他方,KLMオランダ航空,スカンジナビア航空,スイス航空,オーストリア航空の中堅航空会社は大手に対抗するためく世界に先駆けてジャンポ機を導入するなど,業界のリーダー格だったパンナムも, デレグの戦いに敗れ,今はない4社連合「アルカザール」のグループ化に動く。同構想は夢に終わり,KLMオランダ航空はノースウエスト航空と1993年に運営を一体化しグローバルなパートナーシップを実現,サベナ。ベルギー航空もデルタ航空と提携,今年に入ってルフトハンザ・ドイツ航空もユナイテッド航空との広範囲な提携を試みている。日本でも, 日本航空がニュージーランド航空やハワイアン航空の株を取得, また全日空も1989年,東京/ウィーン路線開設(共同運航)に当たり,オーストリア航空と株の相互保有を試みている。キーワードはコストパフォーマンスこうした海外での動きに日本も例外ではいられない。1985年, 日本でも航空会社の国際競争力強化のため,国策であった国際線1社体制を廃し,国際線複数社制を閣議で決定。翌86年に全日空(NH)が国際線定期路線に参入(東京/グアム線,東京/ロサンゼルス線,東京/ワシントン線)。87年に日本航空が民営化,88年には日本エアシステムも東京/ソウル線に就航。特に88年は運輸省が発表した「テン・ミリオン計画」スタートの年として特筆される。経済摩擦解消(外貨減らし)の一策として海外旅行が推奨されたことから,地方空港の国際化も進み,1988年から91年までの日本発国際線定期便の座席供給量は2桁の伸びを示し, 3年間に38%増という驚異的伸びを記録。93年には日本発着の国際線定期便を運航する航空会社49社の総座席供給量が年間2526万席余りと,2500万席の大台を突破。2′ ′d目■錮硼メロロいヽ翻“ヽ``●0●拳/`´1_|:lllil,いI撃・燿ヽ■‥ヘ私`■哺醸曇__・_t轟曖で,■駐=`fむ