ブックタイトル30_1964-1994

ページ
213/276

このページは 30_1964-1994 の電子ブックに掲載されている213ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

30_1964-1994

できないか, といったリクエストがオペレーターに出されたりする。もちろん,これはできる相談ではないからオペレーター側は断る。だが,主催者側はランド費用の捻出方法として,「観光に参加しない旅行者からは,現地で5000円を徴収してくれ」という。そして,この条件を出発前に旅行者に旅行確認書の中に盛り込むというのである。通常,「観光に参加するから,料金を払う」というのは分かるが,「観光に行かないのなら金を払え」というのは異常であり,旅行者が納得するとは思えない。こうした,変則的な旅行が行われれば,消費者の不信を招くことは明らかだ。さらに,これがデスティネーションをスポイルする結果となる。ッアーオペレーター本来の領域は,旅ツアーオペレータ行者が楽しめる新たなアトラクションを発見し, これを完成した「ランド商品」として旅行会社に販売することにある。その意味では常に現地のツーリズム・デベロッパーであり,尖兵である。この性格は21世紀になっても不変の方向性である。しかも,不況下とは言えどもツアーオペレーターは,顧客である旅行会社を選別する時代に進みつつある。▲現地のツーリズム・デベロッパーであることが,オペレーター必須の条件◆ ◆旅行業界には「特許制度」がない。したがって,売れる商品はすぐ真似される。バリ島が売れると分かれば,各社が一斉に商品化。また,オーストラリアが売れ筋になると誰もが商品化に着手する。あげくの果てに,市場では内容よりも価格が大きく物を言うことになる。そうした中,業界にも「特許」があるとしたら,それは添乗員ではないか。添乗員各自が持つノウハウは,誰にも真似ができない。それ故に,優れた添乗員には多くのリピーターが集まる。それどころか,添乗員自身が集客に大きな役割を果たすことだってある。ところが,その“業界の大切な宝"が意外と大切にされていないのが実態。当初,添乗員という専門職に対する認知度が低かったこともあって,中には新入社員教育の一環として,あるいは社員への報償として添乗に出すという会社さえあった。これでは, l,ピーターが増えるに従って顧客の業界離れが起こるのは当たり前。一方,ツアー客をアテンドし一端海外業界唯―の「特許商品」として育成に出れば,業務は24時間態勢とハードワーク。こうしたことを背景に1972年,観光労連がJATAに「添乗の基準化に関する申入書」を提出。これを受けてJATA側でも「ツアー・コンダクター研修会」を開催するなど見直し作業が始まる。76年には空前の海外旅行ブームの波に乗り「ツアー・エスコート協会」が発足。79年には観光労連が海外添乗員訓練制度の早期創設を運輸省に申し入れる。1980年にはJATAが添乗員の資質向上を目指し「添乗員通信教育」(第一期)を開始。81年には添乗員のモラル・アップを目的に「添乗サービス事業協会」が発足。観光労連も85年に自ら添乗員の派遣サービスを行う「フォーラム・ジャパン」の営業を開始する。本来, 自社商品には自社添乗員を付けたいところだが,余裕のある大手は自社内に添乗員部を持っているとしても,中小にはその余裕がない。そこで添乗業務は外注することになる。が,添乗業務請負業者が認知されるまでには10年を要した。また,ユナイテッド航空,ニュージ▲JATA東北支部が1992年に行ったツアコンセミナー―ランド航空などは日本路線開設に当たり, 日本人客向けサービス要員として添乗業務請負業者に業務委託している。添乗のノウハウは,簡単には修得できないからである。経営合理化が進めば進むほど,実は添乗業務の委託は増える。「餅は餅屋にまかせよう」という発想である。それはどんなに経費を切り詰めても,旅行会社は品質を落とす訳にはいかないからだ。事実,地上手配はランド・オペレーターに,センディング(ミーティング)は送迎業者に,添乗は添乗請負業者に請け負わせるという会社が多い。同時に,他社との差別化が企業生き残りの鍵にもなっている。旅行業務の一部を成す添乗業務は,その意味で今,再び見直しが迫られていることになる。2rf■■■■■■■■■■■■■■1日■=l 椰~筆ヽ ―Ⅲ´,.1'1顧〓■■1994 困乗目回コンタクターセミナー懇・覆鬱FIヽハクノじ、