ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

旅行会社lく今では一般旅行業は900社を超え,産業規模も|万2000社ほどになった冬.¨ ,1■ ,|二::|11:1警1弯腎警「メーカー機能と商品流通の確立旅行会社は国によっても,性格が異なる。日本の旅行代理店が旅行者の渡航手続き,鉄道,船舶,航空券の代売業務から始まったのに対して,海外の場合は旅行計画を立て,旅行者を集客するツアーオペレーターの性格を初めから持っていた点に基本的な相違がある。例えば,英国の旅行会社の老舗トーマス・クック社は,クック氏自身が強固な禁酒主義者であったため,禁酒デモンストレーションのための団体旅行をオーガナイズしており,後にこれが世界規模の旅行会社に発展する。一方,アメリカの場合は,アメリカン・エキスプレスに見られるように金融機関が母体であり,駅馬車以来の配送業務が,後にトラベラーズチェックの発売から旅行業への進出を果たした。日本の場合はどうか? 自由化以前の海外産業視察旅行は, 日本に進出した海外のツアーオペレーターによってノウハウを指導されている。そして, 自由化以降は外国系航空会社の主導によって包括旅行について多くの知識を吸収した。当時は,海外旅行自体が新たな旅行形態であり,業界自身の経験もまだ浅かったからだ。また,IATA(国際航空運送協会)承認の旅行代理店のみが発券を許されるという環境も手伝い,航空会社主導の旅行代理店として成長してきた。旅行代理店という呼称から,旅行会社という呼び名が使われ始めたのは,70年代に出現したマスツーリズム時代への移行が1つの契機となった。69年のバルクIT運賃の発効,これに続くジャンポジェット機の就航。そして,ホールセーラーの相次ぐ誕生により,パッケージツアーが生産ラインに乗った。いわゆる,生産(マス・プロダクシヨン),販売(マス・セールス),消費(マス・コンサンプション)の3M(マス)が,急成長の旅行産業のマスツーリズムを形作った。このように,旅行商品のメーカー機能の確立と業界内の商品流通が定着した時点で,「旅行会社」という呼び方が自然に浸透していった経緯がある。パッケージ商品を卸売りするホールセーラーの出現は,旅行業界内に問屋と小売り店(リテーラー)という販売ラインを構築した。そして,ホールセーラーの販売量の増加は,航空会社,ホテルなどに対する仕入れ量の拡大につながったのである。この相互の需給バランスが,価格決定の力関係にもなっていった。海外旅行者が,1000万人に追った80年代後半では,すでにこうした傾向が明確に表れており,かつての航空会社vs旅行代理店の関係から,ホールセーラーvs航空会社という立場の逆転が起きてきたのである。このあたりが, 自由化初期と今日の業界との大きな変化である。だが,旅行会社の業務内容も時代の変遷とともに変化する。ここで現在,旅行会社が行っている基本的な営業活動を総括すると次の通りである。①パッケージ旅行の生産,販売,②団体・個人旅行の斡旋,請負,予約,手配,③各種運輸機関,宿泊施設の予約,手配,クーポン券の発券,④保険代行,⑤渡航手続き,⑥発着時の送迎手配など多岐に渡るが,さらに最近では格安航空券の販売を専業とするエアオン業者の台頭もあり,従来の旅行会社の概念だけでは律じ切れない多様化の局面を見せている。加えて,現地の旅行手配を行うツアーオペレーターも旅行会社の領域に入ってくる。今後に改正が予定されている旅行業法も,実情に即した手直しが必要になってきた。旅行者増えても禾」益:率は下がる運輸省提唱によるテン・ミリオン計画は1991年に目標を達成した。だが,海外旅行人口は増えても旅行会社の経営状態は一向に好転しない。それどころか,過去2年間には大型倒産が相次ぎ,業界内に波紋を広げた。一般旅行業者833社の営業利益も,従来の0.5%から92年には0.2%への落ち込みを見せている。そして,平成不況に伴う需要停滞に見舞われた93年には, さらなる低下が懸念されている。そのネガティブ要因は何であろうか?第1に挙げられるのがパッケージ商品自“たた,す溶軍′′括ダ. ■ |`[|■ ‐|■2θ J・:='「:11 ■_‐ . ::衰‐・驚髯 た務 本社言 所1ヽ.i1| .■ ・・ |:,_■ . i ■|.● :「|左