ブックタイトル30_1964-1994

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30_1964-1994

旅イテ業界1994■口■■■■■■口■■■■■■口■■■■■■■■■■■■■■■口■■■■口■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ロロ■■■■■■■■■■■■■■■口■■■■■■口■■■■■口■■■■■■口■■■■◆ ◆代理店から旅行商品の生産・販売の総合メーカーヘ脱皮旅行者の外貨獲得,旅券,査証の取得など渡航手続きの代行が主な業務であった旅行代理店は,日本人海外旅行の量的拡大に伴い業態も多様化している。1200万人のマスツーリズム時代に対応すべく旅行商品の総合メーカーヘの脱皮を目指すが,低収益体質が悩みのタネだ。渡航審査から始まった創成期「5484社, 5兆円市場」。これが現在の海外旅行産業のスケールである。だが,立ち上がりは違った。海外旅行を取り扱う一般旅行業者は,1945年の大平洋戦争終結以降,64年の海外観光渡航の自由化に至る期間は,旅行代理店の数も20数社に限られていた。ちなみに, 自由化翌年の65年に日本航空がまとめた「海外旅行代理店一覧」には,わずか50社が記録されているのみである。自由化以前の海外旅行は,公用,外交,商用,戦争花嫁など,特定の旅行者のみが対象とされた海外旅行不自由時代であり,旅行代理店の営業活動の対象となったのは,業務渡航と産業視察旅行であった。だが,この種の旅行をするにも当時,大蔵省などのメンバーで構成されていた渡航審議会からOKをもらわないと渡航に必要な外貨枠が確保できなかった。このため,旅行代理店は審査手続きの書類作成,海外からの招待状のアレンジ,旅券,査証の取得など渡航手続きの一切を担当した。これが「旅行代理店」の名称が,一般化した背景だ。しかし,現在では「旅行代理店」という呼称は「海外旅行を主催する一般旅行業者を代理として営業を行う業者」を意味するため,混乱を招く恐れがある。ここで使用する旅行代理店の呼称は,海外旅行創成期の一般旅行業者に対する名称であることを明記する。自由化以前に活況を呈した産業視察旅行は,現在のテクニカル・ビジットの前身とでも言うべき存在であるが,その目的が欧米諸外国の産業視察であったことから,旅行内容もおのずと限られていた。旅行代理店が本格的に自社の旅行主催商品を企画し販売を開始したのは,1964年の自由化以降であり,エスコート付きの団体旅行が中心であった。だが,当初は1社単独による主催は少なく, 5社共催による海外旅行という形で表れた。同年5月に藤田,阪急,名鉄,南海,東急の5社共催で実施された「ファイブ・スター・ハワイ・旅行団」がそれである。このような旅行代理店同士の協業は,初期の海外旅行における参加者数の確保を目的としたものと思われるが,その後の日本人海外旅行者数の増大に伴い,各社単独催行の方向に進む。自由化前後を通じて,当時の旅行代理店が企画・販売した主催旅行商品は,こうした団体型が原形となっている。そして,その後に出てきたのが近畿日本ツーリストが先鞭を付けたチャーター旅行による大量送客であり,ジャルパックに象徴されるパッケージ旅行の出現である。こうした時代の流れに乗って,旅行業界の規模は拡大の一途を辿った。平成時代の旅行業界の現状はどうか。93年4月末の集計では一般旅行業900社,一般旅行業代理店業4564社で合計5464社,これに国内旅行業8927社を加えると国内/海外のダブリがあるとは言うものの,その合計は約1万2000社規模となる。過去7年間の経緯を見ると,一般旅行業者は年間ほぼ50社から60社の増加を示しており,サブ。エージェントを合めて平均354社のペースで増加している。驚くべき伸長率である。海外旅行者も増えたが,旅行会社も増えた。自由化実施の1964年に日本人海外渡航者総数は12万7749人。1993年の海外旅行者数は1193万3620人と推定されている。これを単純に頭割りすると,30年前には1社当たりの取扱人数が2554人であったものが,現在では2174人へと減少している計算になる。 しかも利益率も低下している。海外旅行の「豊作貧乏現象」とでも言うべきか。20θ旅行会社