ブックタイトル30_1964-1994

ページ
114/276

このページは 30_1964-1994 の電子ブックに掲載されている114ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

30_1964-1994

鶴丸マークからミシュランまでガイドブックは地球を歩くビギナーの海外旅行者にとって肌身離せないのが旅券とガイドブック。今でこそ本屋の棚に溢れる旅行案内書もヮ海外渡航自由化の初期には,日本航空(JL)の社員がコツコツと執筆していた時期もある。旅人のポケットに揺れながらヮ世界を縦横に歩いた,ガイドブックの変遷史。|海を越えてきたブノンーガイドことであった。当初,このガイドブックはジャルパック参加者へのギブアウェイ用として制作された。その内容は,アジア,ハワイ,アメリカ,ヨーロッパ方面が1冊に納められ,ジャルパックの初期商品の7コースがカバーされている。このガイドブックは異色だ。現在のようなデスティネーションの旅行情報紹介ではなく,構成がストーリーイ士立てになっている。まず,商事会社を定年退職した空江伸平氏が,奥さんとの海外旅行を実行するために家族会議を開くというシーンから始まる。そして,これに娘の参加も決まる。旅行計画を立て, 日航機で各国を見物しながら世界の風物を紹介していく。対話調のユニークなスタイル。執筆者は,日本航空(JD」本社営業管理部に勤務していた大岡徹夫氏。もともと文才のある人で,当時の日本人海外旅行者のレベルを計算に入れ,平易な読物風にまとめた稀親本的なガイドブックである。縦書き,販価330円。当時は大岡氏のほか,数多くの社員が幸丸筆,編集に参加した。1日実業之日本社ビルには,戦後の1946年から53年までの期間に草創期の社員が同居していたこともある。こうした関係から,初版本の発行以降,しばらくの期間はブルーガイドの表紙に「編集。日本航空」と明記されており,その後,これが外され背表紙に鶴丸マークが入った。このような経緯から,「初めに日本航空ありき」が, 日本の海外ガイドブックの事始めと言える。1社のミスで全社が間違う連帯感「宿とりて,一に方角,二に雪陰,三に戸じまり,四に火の元」。1810年に刊行された『旅行用心集』に書かれた一節で,当時の旅館使用ガイドともいうべき旅行案内書の古典だ。西欧ではどうか。「公共の建物やホテルなどでは,騒がしいふるまいや,人を軽蔑するような発言を避けること。特に政治的意見を述べることは避ける」。この記述は,近代ガイドブックの始祖とも言えるドイツのカール・ペデカーが1800年代に出版したガイドブックの一節。当時の旅行案内は, ともに旅行者に対する啓蒙的な要素の強い点に共通性がある。このペデカーは,観光地の言刊面を☆で表すスターシステムを開発したことでも有名だ。また,第2次世界大戦では,ナチのヘルマン・ゲーリング空相が空軍部隊に「英国にある歴史的建造物。名所でペデカーの星マークが付いたものはすべて破壊せよ」と命じたため,後世に“ペデカー爆撃"の名を残した。このペデカーの後継者であり,当時,人気のあったブルーガイドの編集者であるラッセル・ミュアヘッドも,このスターシステムを導入して好評を博した。話は一気に現代へ飛ぶ。東京。中央区銀座にあるガイドブックの老舗,実業之日本社が,国産ブルーガイドの海外版第1号を発刊したのは,海外観光渡航自由化の翌年。ジャルパック第1陣が出発した1965年の′′2現在,ガイドブックを発行する1財上の公称刷り部数を合計すると,1200万部を超える。実売部数を3分の1と推定しても400万部。日本人の年間海外旅行者3人に1人はガイドブックを手にする計算になる。ちなみに, 日本人で団体,パッケージ旅行を利用しない個人の自由旅行者は,200万人前後と推定される。このガイドブック業界で一番の悩みのタネは内容の盗用。かつて実業之日本社は,▲ガイドブックの古典とも言うべき「旅程と費用概算」,朝鮮や満州などの記述もみられる鮮・満・中國旅行一、気候と遊電季節に就いて●口 諄】一餞r内地I りt■濾の費花念漱で、同一撃宙でも日々激姜がある。南期は六月中旬から爆ユリ■月乃〓八月のキr及び、ヨ、四、五、 一0, 二、一二の1は早夭、結ホ期は一二月の後牛から一月乃至二月に■61とがある。設に邊■ の翻●は■秩の二手が■8である。【■ ■】大睦的にく春状の季●燿く、市方大連、族H地方を除0奥■の彙候は几く層日の如く移河F嬌療は■日表示の大撃中であつく立■からは正菫に曖熱を” へる。格し薔塞時ι南風又は無風の日は割合に崚く、大が大抵三,四,毎に恭口相■■,ろ“め俗r 「〓颯口凛」と言つて居るo故に内地F層て畑■する程の事はない。夏手に南臓亀備とt大甍tく、雨鋼は大抵七、八月颯であるメ、日本内地の苺蔵とは全烙員り比較的国量が多―と云ふに通さぬから菫行には,のみ“書はなく、●景調を除けに選■ に好菫である。【中●■日一 一■胃〓麟 冬鶴は〓一月から壺年二月迄rく療彙烈しく詢川は■く彗水イる。盤ι構ιく天彙哺輌にて時彎凛崚七日光に凛1 るヽき,ある。〓は共■口ιさt雨量少く、■っ壺颯範“して比較的族行r菫しておう。最にその天俊比崚的丼嗜t,と秩メ湾行の最t生じ―時期である。■手工〓“一(中都支郡) 口期は北メ昴よりι早く、四、■月の頃で、湖沼ヨら■“濾しく爽量不“とt‘。晴天鮮・■ oまち菫行                         工C一五旅行ガイドブック編26