ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

ジェット機就航時にスカートの丈が膝上ヘ今は機能性に富んだミリタリー調旅のプロデューサー役としてヮ旅行者の憧れの対象となっているスチュワーデス。彼女たちのファッションもこの30年で大幅な変化を遂げてきている。日本航空(JL)の制服移り変わりを例に探ってみた。2それぞれの節日で制服を改正|日本航空(JDが設立したのは今から43年前の1951年8月1日。海外旅行自由化から13年前のことであった。スチュワーデス第1期生(当時はエアガールと呼称)の入社は同年8月20日,戦後初の国内民間航空の一番機10月25日のテイクオフに向けての第一歩だ。当時の制服は,デザイナーの問田稔氏によるもので,グレーのごく―■般的なものであった。ちなみに,第1期生は15人,スチュワーデスとしての特別訓練はノースウエスト航空の教官が行い,パレスホテルのダイニングルームでは,サービスのノウハウなどが特訓されたという。同社が国際線を開設した1954年2月には,伊東茂平氏がデザインした紺のタイトスカートを採用,ジェット機就航に伴い,60年8月には同氏による金ボタンをあしらった紺色の制服を導入し,スカート丈もそれまでの膝下から膝上へと短くなり,全体的にモダンな感じのするものとなった。いくつかの節日で制服を改正してきたJLだが,海外観光渡航が自由化された1964年4月には, とりたてて改正は行わず, 自由化を心待ちにしていた旅行者たちは,紺スーツをスマートに着こなしたスチュワーデス(当時のエアホステス)の笑顔に迎えられることになる。翌65年には,「ジャルパック」7コース・31団体を販売,これに続いて海外航空会社によるパッケージツアーも次々に販売された。]θ8▲ スチュワーデスの訓練風景世界一周線には森英恵デザインの新ユニフォームでその後,制服改正が行われたのは1967年3月6日,世界一周線開設に合わせたものだった。国際線開設以来の念願であった世界一周線第一便は同日,東京国際空港(羽田)を出発し, 日本の定期路線として初の大平洋線を無事に終えて,総所要時間58時間55分の後に東京に到着した。この世界一周線の開設のために,JLは世界各国へ向けたプロモーションを展開,その一環として制服の一新を行った。デザイナーには森英恵さんを起用した,大空をイメージさせるスカイブルーのスーツに新調。新しいユニフォームをまとったスチュワーデスは見事,世界各国にJLの存在をアピールしたのだった。海外旅行熱がますます高まり, 日本人出国者数が対前年34.6%もの伸びを見せた1970年,JLでは大平洋線にジャンボ機を就航,それに合わせて5着目の制服を発表した。前日と同じく森英恵さんが手がけたユニフォームだが,今までの一貫したスーツスタイルから一新して紺のミニスカートを採用。軽快な雰囲気の膝上スカートハ旅行者に快活なイメージを与えた。その後,第4次中東戦争を原因とするオイルショックにより,再度にわたる航空運賃引き上げが実施されるなど,海外旅行市場は厳しい局面を迎えた。それまでの高度成長時代を経て,海外旅行市場は安定成長へ,パッケージツアーも「量から質へ」と移り変わっていく。多少の足踏みはあったものの,海外旅行者数は順調に伸び続け,1977年には年間海外渡航者が300万人の大台に達成した。JLがそれまでの制服から,紺ワンピースを新しく導入したのも,その年であった。■_″「え'1、1■「ヽ7(ヽ``Rヽ・L―:■ 」‘二″‘■■スチュワーデス・フアッション偏24