ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

旅券編海外旅行市場とともに歩んだ旅券発給数大量輸送時代にふさわしい新旅券が登場海外渡航とは切っても切れない関係の旅券。自由化の行われた1964年からその重要性は変わりなく,空港では常に出国者数の手にしつかりと握られている。海外旅行者数および発給数の拡大に伴いヮ92年には機械読み取り旅券(MRP)が導入された。出国者数と足並みをともにする旅券発給数ければならなかった。まだ取得する人が少なかったためか,表紙は革張りの風格のあるもので,持ち出し外貨に制限があったため,その記録欄も設けられていた。当時は「旅券」というものが一般的に知られていず,航空券のことと勘違いされるような時代で,最初のページに書かれている「右の者は日本国民であって……通路故障なく旅行させ且つ必要な保護扶助を与えられるよう,その筋の諸官に要請する」という外務大臣の記述に誇りを感じ感動すらする人も多かった。「海外旅行の庶民イロヘの期待とともに明けた1964年以降,旅券の発給数は毎年対前年25%以上の伸びを見せ,急激な右上がりの曲線を描いていった。ジャンポ機が涼尤航して,大量輸送時代を迎えた1970年には,実に前年を約17万件(36.2%)も上回るほどの伸びを見せている。オイノンショックで発給数にブレーキ|外務大臣官房領事移住部旅券課発行の旅券統計によると,海外旅行が自由化された1964年(昭和39年)の一般旅券発給数は11万8667件(うち数次往復旅券4191件,一往復。限定旅券11万4476件)であった。その年の日本人出国者数の12万7749人(法務省紆さ言十)からも分かるように, 9082人が自由化以前にパスポートを取得していた計算になる。旅券の発給数は, 日本の海外旅行市場がにわかに賑やかになり始めた1965年にはすでに対前年37%もの伸びを見せ,自由化直前の64年2月には1万398件と戦前戦後を通じての月間記録を更新したほど。海外渡航自由化当時の旅券はまだ数次旅券がなく,すべて海外へ出る度に取得しな▲戦後の1964年に発給された旅券,「連合国最高の司令官によって許可された日本国民…」という表記が興味深いオイルショックにより紙不足が表面イし,トイレットベ>―パーを求めて長蛇の列ができた。海外旅行も落ち込みをみせたrθ θ順調に発給数を伸ばしていった旅券が100万の大台に達したのは,“ 第2次ホールセール・ブーム"とも呼ばれた1972年。対前年25.6%増の107万602%牛(うち数次往復旅券59万3228件,一往復。限定旅券48万2801件)を記録した。同年の出国者数も139万2045人(対前年44.8%増)と,初めて100万人を突破,本格的なマス・ツーリズム到来を確信させた年であった。しかし,73年10月に勃発した第4次中東戦争によるオイルショックが,それまで衰えを知らなかった海外旅行ブームに冷水を浴びせかけた。石油の値上がりから,航空各社は航空運賃を値上げせざるを得なくなり,その結果,羽田空港の国際線チェックユロ琶20" 62_15 , (11::|「".:7.・・■''|''',11111,キ・・‐Ц職N到 邸 卜本Lは、 ここに,■と蔵明事項tを添えてあ● .1 .・人 ′こ〓友.雄は6´峰貿み鳩% な′L参九つづ, 末  □  に行く目的て、日本国から出発することを、千九r円―七年四月十四“付指今>●^慧ヽ一0い^К≧一,じ8ント■び子た0‐■■一4‐二月ヤtおけ一 ヽ34春〓す″工品′ヽ・〕,↓以●本b一にもとづい´ヽ班今回11 1高,1令■によつて計,された●本国民であるに=菫ないこと,証明する。この掟券はrわユ一年十´■月ir一――まで市場である。.ただし、連合国最高司令■の期白な滸可0あつたときに競■、これを■断することができる.― ―は■千ム■ ■ “ 一■ンロ蒟月嗜ゴく ヽ‐ J ■雙『1鞍穐銹1 11毎t `1,:′ ‐|‐↓く`鯰腱_・撼轟艤藩警ま鰈ざ¨ホ下鷲・僣,,,―.  ..蜃蘇_ダ