ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

海外旅行の陰に添乗員あり時にはコンダクター9時には叱られ役イタリア観光。ローマの松を囲んでアメリカ人の観光団がずらり。旅行者を前にして外人ツアーコンダクターは言う。「1時間後に集合。エンジョイ ユアセルフ!」。この「勝手に楽しんでくれ」というのは英語だとなんの抵抗もない。だが, 日本人旅行者に言おうものなら添乗員は吊るし上げにもなりかねない。日米のコンダクターと添乗員の違いであり,旅行者の習慣と言語障壁の相違である。特に苦労したのは海外観光渡航自由化初期の添乗員。海外事情は,お客も知らなければ,添乗員も不慣れなのである。相次ぐハプニングの連続であった。自由化翌年の1965年4月10日。ジャルパック第1陣はヨーロッパに向け出発する。その前夜ツアーに参加するお客様はプリンスホテルに泊った。まず,バスルームの使い方から,テーブルマナーまで,ホテルの講習を受けることから海外旅行は始まった。当時のジャルパックは, 日本航空と幹事旅行代理店11社によって運営されていた。ツアーごとに添乗員は担当会社から出るため,気苦労も人一倍であった。この後,ジャルパック販売を専業の旅行開発(現:帥ジャルパック)の設立とともに専属ツアーコンダクター制度を布く。初期の海外旅行で添乗員が苦労したのは大人の迷い子。観光中にも店へ入り込みは98ぐれる客が出る。夜,街ヘー人歩きすれば自分のホテルが分からなくなる。空港のトランジットでは他の便にまぎれこむ。瞬時も目を離せない。このため,お客に宿泊ホテルのパンフレットを持たせ外出させた。迷ったらこれをタクシーのドライバーに見せるという仕組みだ。区炒|ヽ1行き団体旅行のトランジットで便を間違えシドニーまで飛んだ客がいる。パリからロンドンに向かう途中,駅のプラットホームではぐれたシルバーは, ドーバー淘峡を越え,タクシーでロンドンまで追い駆けてきた,などというエピソードの連続である。荷物の紛失も悩みの種。アジアの空港では,航空会社カテ責み違えたスーッケースがロンドンまで運ばれるという騒ぎ。この間,お客は着のみ着のままだから,添乗員は取り敢えず店に走り当座の衣類を調達しなければならない。だが,相手は女性客だ。なにを買ったら良いか見当がつかない。ヒステリックになったご婦人をエスコートしながら下着から揃えるという難行苦行が続く。こうした不測の出来事に遭遇した場合でも必要なのは冷静さだ。ベテラン添乗員はそのための心得として「1に体力, 2に気力, 3, 4がなくて, 5に我慢」が必要条件であるという。なぜならは自分が健康を害しても,添乗員は倒れることが澪午されないからである。TCSA添乗業務評価制度委員会が調査した「求められる添乗員像」は, 1印象,2責任感,次いで行動力が最大得票を集めている。▲添乗員が振る団旗を先頭に進むグループ(バンコク)1■ E3に体力,2に気力,に我慢かつては団旗先頭に旅行者の先頭に立ち,さっそうと海外を先導した添乗員。だが,マッターホルン観光に電気釜をかついで登りお客の飯を炊き,飛行機の遅延にまで叱られ役。荷物もなくなれば大人の迷い子もでる。「お客様は神様か」と心の中で呟き今日も世界の街を行く。|‥」■nat「色■■颯一一‐,‐ 二一■一L賦―― 由レEFIar lン4■■目一・′/● `ヘ.il´ ・■「  ′d「●J “ツアーコンダクター編