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概要

25_1964-1988

1980新聞募集ツアーのはしりにモニターツアー活況十年一昔とはよく言われますが,モニターツアーを行なってから約10年しか過ぎていないのに遠い昔の事のような気がします。第1回のモニターツアーは「タイ国モニターツアー」でした。当時,タイ国政府観光局所長であったパイオン氏より,タイ国への送客依頼を受けるとともに,同観光局がタイ国の宣伝に新聞の1ページを使用する事も知りました。その頃,まだタイ国への渡航者は少なく,まず多くの人々に自分で行って見てもらい,その人々のロコミで宣伝してもらえば一番良いのではと考えて「タイ国モニターツアー」を企画したわ0 0 ●村木博0日本通週ン東京方節:支店膨椎撲センター次長けです。当時は新聞での旅行募集は行なわれておらず,DMや会員誌をつかって不特定多数の集客を行なっていた時代でした。また,MTPという最低販売価格があり, この壁を破れる方法がないかとも考えていました。そこで,タイ国政府観光局,タイ国ホテル協会,商工会議所,バス協会の協力を得て,10万円の費用負担で「バンコック,パタヤビーチ5日間」に参加するモニターを募集したわけです。その結果,応募者が殺到して,当初200名から300名くらい集客出来れば良いと思っていたところ,約1000名の応募者があり,フライト,ホテルの手配が大変だった事が思い出されます。結局,その春は500名しか送客出来ず,残りの500名は秋まで待ってくれるようお願いしたところ,ほとんどの人が待っていてくれて,秋に残りの500名を送客したわけです。また,この企画を実施するにあたり,広告の予算書を上司に出したところ「オマエ, 0が1つ多過ぎるんじゃないか」と言われ,説明するのが大変だった事もありました。この時代としては破格の広告費であったわけです。その後,弊社として7ヵ国のモニターツアーを行ない数千名を集客しましたが,モニターツアーという売り方に批判が出て定着は出来ませんでした。しかし現在,新聞紙上で毎日のように見かける旅行募集のはしりが,この「タイ国モニターツアー」である事は間違いありません。バンコクの水上マーケツトという誤解の余地は充分あった。長い審議の結果,55年に静岡地裁は本訴請求棄却によってJTBの主張を認めた。『旅行契約は,運輸機関,宿泊機関その他の旅行サービス提供に関し,代理・媒介・取次をし,旅行者の案内等のサービスを提供することを約したものにすぎないこと,また約款にも自ら故意過失による損害のみに責任を負う旨表記されている』という理由である。それは主催旅行の法的性質に関する歴史的な判決であり,旅行業に理論的な支柱を与えた。いっぱう消費者からすれば,名も知らない外国のバス会社などの事故では,その補償を誰に求めればよいのかという疑間を残した。そこで昭和57年には消費者保護の立場から旅行業法改正が行われ,主催旅行では旅行業者の故意過失に関係なく1500万円を限度(海外)とした補償金を支払う旅行業約款が発足。旅行業の地位はさらに強化されるとともに,大きな社会的責任をも担うこととなったのである。(当時。日本交通公社広報部勤務)事故裁判でJTB麟訴主催旅行の法的性質に支柱桜田 薫●国階醐訴興会′ 里事主催旅行で発生する事故の責任は,究極は法律問題であるが,日本では他の分野と同様に,民事のトラブルを裁判で解決するのは最後の手段になる。法律の専門家にすべてをゆだねる前に,当事者は誠意をもって話し合いによる解決をはかるのが常である。大きい事故ではマスコミなどが加わり,しばしば理屈よりも感情が優先するから,広報責任者は社会に働きかけて現実の正しい理解と支持を得ることが大切な仕事である。渡航自由化後の初期段階では,海外旅行が特権階級の物見遊山にすぎないという偏見が根強く,マスコミは“安易な旅行88者"を戒め,“ 無責任な業者"を槍玉にあげた。この風潮に変化が見えたのは,私見ではニュージーランド航空の南極事故が起きた53年頃である。南極見物という一種の冒険旅行を主催したJTBや航空会社に対して,感情的な非難論調はメディアから殆ど姿を消した。多数の犠牲者を出した痛ましい事故であったが,冷静な報道記事の中に旅行業界が社会の信任を得つつあるという実感を味わった。昭和50年にマニラのバス事故で不幸にも重傷を負った静岡の主婦が,旅行主催したJTBに全責任を求めて提訴した。旅行業もパッケージ旅行のブームを迎え,もはや“旅行あっせん業"ではなく,自ら創造した“商品"を固有のプランドをつけて販売すると謳っていたから,「旅程中の運輸機関の事故についても責任の範囲」「 頚轟`八/´轟、順_″“億「~´"慶銀