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概要

25_1964-1988

‐ ‐ 辣 膠lTC商戦本格化テンミリオン計画の原点に山田 学●全日空ワールド/代表取締蝠1沐土長「あなたの街から海外一直線一一全日空ハローツアー」。このコピーこそITC商品を明確に表現できたと考えています。1978年,ITC導入を機に,全日空のイノ 9ンハウスホールセラーとして全日空ワールドの発足,そして商戦参加でした。79年1月の福岡~香港が初便スタート。最盛期の80年は267便ものチャーター便の販売オペレーションを実施しました。当時はチャーターは定期便の敵の如き扱いで,最大マーケットの東京,大阪からの発着は許可にならず,地方マーケットのみの状況のなかで平均ロードファクター92%を確保,集客不能キャンセル便は入ったのは,たしか1979年5月のことだったと思う。華国鋒,郡小平が掲げる一枚看板「4つの現代化」(農業・工業・国防・科学技術)を実現するためには,中国は外貨を稼がねばならない。そのためには観光事業が早道だが,北京,上海にわずかながら国際級ホテルが存在するに過ぎない。何とか既存の宿泊施設で利用できるものがないか―そこで出て来たのが,当時,リットを大手代理店,地場代理店,全日空支店に対して説明しました。結果は完全販売,高ロード,全日空ファンづくりに成功。チャーターを業界のなかで最も多く経験した人間の知恵でITCを定着させたと自負しています。それが1986年の全日空国際定期便の就航,その後の路線拡大につながり,ひいては今日の海外旅行ブームにも結びつきました。そう考えると,ITC商戦こそテンミリオン計画の原点だともいえるのではないかと痛感します。“地方の時代"を拓いた1丁C(香港で)目目■■中国旅行自由化一般募集いちばん乗りの快感野田省三●ジェットツアー/常牙郷ι締役「スガ,中国旅行をジェットツアーで取上げてみる気はないか?」。当社の香港現地法人会社のパートナーのW氏から当社社長の菅原清美にそんな国際電話が党中央や国務院の別荘であった北戴河(ペイタイホ)の保養施設の一般開放である。この保養施設を組入れてツアーをつくってくれる会社であれば,日本の旅行会社でも一般募集旅行を認めても良いと,降ってわいたような話なのだ。半信半疑のまま社長と私がすぐさま香港に飛び,そこからW氏と共に,列車で深り|1経由広州市に入り,夜行の航空便に乗り継いで北京入りした。翌日,中国国際旅行社総社の米州地域担当責任者数名と共に,急行列車に乗って北京より東250キロの北戴河に向った。女性服務員の中国茶サービスを受けながら窓外の広大な田園風景を眺めつつ5時間程で目的地に着いた。北戴河は秦皇島に近い渤海に面した,合歓の木とアカシアの美しい林に囲まれた静かな保養地であった。その中に点々と石造りの豪華な別荘が30棟ほど建っている。我々はその1つに3泊して担当者の説明を受け,いろいろと質問をした。そして直感的に「これは絶対売れる。′」と確信した。帰国後,大車輪で企画をし,「北京・天津・北戴河。上海8日間=31万5000円」で売出したとたん,新聞・雑誌でも大きく取上げられたのが幸いして, 8月~10月発のツアーは間もなく完売。業界すずめ達は「査証は絶対交付されないから,このツアーは中止せざるを得ないだろう」と観測していたようだが,無事,総社より招聘状も届き, 8月初旬発の第一陣ツアーには私も添乗員の1人として乗り込み,観光ツアーの一番乗りを果した。中国旅行といえば,それ迄は「友好訪中団」方式の団体旅行しかありえなかった。総社の日本処を通さない変則的な取扱いではあったが,当社があえてこのツアーを発売した事が中国旅行の自由化を予想以上に早い時期に可能にした引き金になったと今でも自負している。87⌒ゼロでした。それにしても,今日のテンミリオン計画にもとづいた国による積極的なチャーター指導,地方からのマーケットディマンドの条件とは隔世の感があります。我が国で試験的導入であるITCを,その目的を正しくお客さまに,そして業界に受入れていただきたい。全日空の国際定期便の実現にご支援をいただく礎にしたい。それが当時の率直な思いでした。販売ポリシーとして,ホールプレイン・チャーターは行わず,大手代理店3分の1,ユニット用3分の1,ハローツアー3分の1,のスプリットを基本方針としました。このため,集客リスク,ダンピングで客のとり合い,品質管理等,地方マーケットで1機1社独占販売することのデメリットを説き,分割によるメ,VI