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概要

25_1964-1988

米国建目20口年祭USブームの起爆剤に米国200年祭があった1976年は,モントリオール・オリンピックも開催されて,北米大陸に2大イベントが重なるというユニークな年であった。一方,日本国内では,ロッキード事件があって騒がしい年でもあった。この記念すべき建国祭を盛り上げるため,旅行業界全体が協力態勢を取った。USTS(現在のUSTTA)がバイセンテニアルの記念シールとバッジを配布してくれたので,それを名刺に貼り,あるいは胸につけてセールスに励んだことを思い出す。わがグレイハウンド社も,200年祭に合わせてバスの塗装を青,自,グレーから,赤,自,青の星条旗と同じ色にデザインー新した。5000台以上もあるバスの塗装を変えるのに1972年から1975年まで, 3年の年月を要する大作業であった。また,特別商品として,1976年の76を取って,76ドル7日間無制限,乗り放題のバイセンテニアル・アメリパスを発売した。これが大評判になり,アメリパスの売上は,前年度比35%近くも伸びた。チャーターバスの方も好調だった。ジャルパックさんが主催されたバスの旅は,サンフランシスコ,デンバー,シカゴ,モントリオールを経由してニューヨークに到る28日間の長い旅だったが,定員いっぱいの盛況だった。これも2大イベントの影響である。この頃から,海外旅行のガイドブックに,バス旅行の記事や案内が頻繁に載るようになった。そして,業界のみならず,一般にもバス旅行の良さが認められるようになった。私事になるが,或る出版社から,バス旅行の本の出版企画が持ち込まれ,ゴールデンウィークの休日を返上して原稿を書き上げた。それが「バスロード10万マイル」という単行本で出版され,予想以上の部数が売れた。こうしてみると,1976年のアメリカ建国200年祭は,われわれバス会社にとっても,脚光を浴びる節目になったように思われる。各州が趣向を凝らして200年を祝う(ミシシッピ州)滝ロー男●グレイハウンドインターナショナル/日本支社長'976労連か連合体ヘ結成10周年で発展期す尾崎成男●JTB/YE嚇編集室主査1974年(昭和49年)の春闘は観光労連がようやく統一闘争ができるようになった春闘で,その後の観光労連の運動に大きな影響を残しました。74春闘後,観光労ますと観光労連そのものがひとつの労働組合で,企業別組合はその支部のように考えられますから,労働運動の主体が観光労連(産業別組合=単産)に移ります。交渉権,スト権,妥結権といったものを産別が持つ… となります。当時,私は観光労連の専従役員としてこうした問題に,あるときは自信をもって,あるときは悩み迷いながら参加していました。歴史と力量を十分にもつ加盟組合は,単産の発展を支持しつつも,同時に単組という自分達の組合の運動の自由を確保しておきたくなりますし,新しい組合は自分達の運動というより,単産の言いなりになってしまうのではないか, といった懸念があります。また中小規模の組合では,大手組合に指導力をもたれ,大手中心の運動に成っていくのではないかといった心配もあります。このため,連絡協議機関のままであっても十分運動ができるのだから,そんなに急いで連合会に移行しなくてもいいのではないか, といった声が長く残ります。そうしたディレンマをかかえつつも,1976年に観光労連が連合会に移行してから既に13年。すぐに思い出すこともありますが,当時の仲間とひさしぶりに酒を飲みながら,「そうそう,そんなことも」と思い出すことが多くなりました。協議会から,より強力な連合会ヘ`‐.“L連をもっと強力な組織へ発展させていこうという声が指導層から沸き上がってきました。2年後の1976年がちょうど観光労連結成10周年なので,それをめざして,連絡協議会から,連合会へ発展させようというのです。連絡協議会は企業別組合間の協議・調整をする機関の域を出ないと言えましょうか。運動の主体はあくまでも企業別の組合にあります。ところが連合会となり&観光・航空貨物産業労働組合連合会格戒大会fl 11l Ci.1.` 1'2‐↓`‐` ‐‐ ´ ・~1_" ギ`リ、キ《1.IMは| ‐ 1ヽ・ヽ.Lヽ