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概要

25_1964-1988

特別在餃会中村徹氏しかし,ジャンボが導入された意義というのは旅行業界にとって大変に大きなものでした。あれが旅行の形態を根本的に変えましたね。兼松 そもそも旅行形態の変化の元はジェット機の登場ですね。1959年に初めて日本にジェット機が来まして,太平洋のジエツト・エイジが幕開けしました。ジェット機というもので初めて団体旅行というものが商売になるようになったんです。それが10年後にジャンボの登場となって,海外旅行の大衆化につながったということになるのでしょう。石田 そうですね。ジャンボが導入された後の海外旅行の伸びは目覚ましいものでした。71年から海外旅行部長を担当し●中村徹氏 昭和10年6月20日生まれ。33年東京大学法学部卒業,運輸省入省,39年JNTOサンフランシスコ観光宣伝事務所,42年航空局飛行場部管理課補佐官,47年航空局監理部国際課長,54年大臣官房政策課長,59年航空局監理部長,61年国際運輸・観光局次長,62年国際運輸・観光局長。25年の経験踏まえ新時代へ挑戦■■■まして,出国者が年間96万人,140万人,230万人とすばらしい勢いで年々増えていったのが印象的でした。一山地さんはジャンボについてどのようなご感想を持たれましたか。山地 1970年といいますと,ホノルルの後ワシントンの大使館勤務をしまして日本へ帰ってきた年です。戻りましてすぐ海運の方の仕事に就きましたので,ジャンボ機の導入ということには特に思い出というのはないんです。ただ,今になって思い返すとおかしいんですが,あれだけの巨大機でエンジンも大きい。あの推力で周辺に被害が出るのではないか, と真面目に議論されていたことがありまして,新しいものにはやはり不安があるということなのでしょうか。あつ旋業法から旅行業法ヘ国際的ブレッシャーで成田開港―ジャンボ就航の翌1971年には,旅行業界にとって大きな変革を迫られた旅行業法が公布,施行されました。当時観光部長でした住田さんにこの時のお話をいただきたいと思います。住田 私の観光部長時代の思い出で一番印象が強いのは,手前味噌ではございませんがやはり旅行業法の改正であったと思います。この法律は,ここにおられる兼松さんはじめ業界の皆様の協力,スタッフの力で出来たものです。問題の背景をちょっと申し上げますと,当時は「旅行あっ旋業」であつたわけです。それが今お話しのようにジャンボの時代となり,旅行のパターンが非常に複雑化していったわけですね。一番の問題は,責任の所在がどこにあるのか, ということでした。法律的なことで恐縮ですが,当時裁判で「墨東睦共和会事件」というのがありまして,これは旅行クラブが伊豆のホテルと契約しまして旅行をしようとした。ところが,仲介をしましたあっ旋業者が逃げてしまったわけです。これが裁判になりまして,旅行クラブである「むつみ会」が責任を負うのか,あるいはホテルが負うのか。請負業か代理業かですね。つまり,あっ旋業者というのはそれがハッキリしてなかったんです。そこで,問題をクリアにさせようというのが,業法改正の一番のきっかけだったんですね。そして,代理,媒介,取次といった整理がされたわけです。当時間題になったことで,請負論というのがあったんです。お客さまはジャルパックとかルックというブランドを信用して旅行に行くんだ。だからこれは請負なんだという議論が一部にありました。これに対しては,請負ということになると全てそうなつてしまう。当時,責任を取れるような会社は交通公社をはじめとする一部しかありませんでしたからね。それと,先の事件のような危険な会社もあったので,登録制にし保証金を積んで信用を高める。つまり,旅行業者の健全発展と消費者の保護の2つが狙いだったのです。これが契機で,旅行業界の地位が上がりお客さまも安心して利用出来るというムードをつくったことは間違いなかったのではないか, と自負しているんです。―第1次石油危機が1974年ですが,にも拘わらず海外旅行市場は拡大しました。この頃に,日米間の雲行きもあやしくなり,日米航空交渉も難航しました。山地さんはそれをご担当されましたね。山地 昭和50年から航空審議官として,日米航空交渉に携わりました。本来であれば,航空問題だけが話し合われるべきなんですが,日米間の諸問題が背景にありました。外交問題や経済問題がからんだ上で航空交渉を進めることになり,いつも不利な条件で交渉をさせられていたという状況でした。日本の航空会社は航空機をアメリカから購入して貿易摩擦の緩和にかなり貢献していたのですけど,イ8卜鼠予DF灯/q:R難.‐ ‐・澤撫|`ξ‐,‐‐‐``=渕R`鷹闊