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概要

25_1964-1988

高度成長を可能にした3つの要因わが国の海外旅行市場が高度成長を続けてきた理由は大きくみて3つある。ひとつは言うまでもなく,奇跡的とも言える日本経済の復興とそれに続く高度成長がもたらした可処分所得の増大と生活水準の向上,そして近年における円高である。価格の安さと品質の良さを武器に好調な輸出を続けてきたメイド・イン・ジャパンは,驚異的なピッチで外貨を増やし続け,それがまた円高となって一層日本人の海外旅行を促進する大きな要因ともなった。加工貿易が宿命の日本にとって,外貨の保有高は日本経済の生命線。それゆえに自由化からジェット機を経てジャンボ。ジェットの登場につながる初期大衆海外旅行時代は,まだまだ“貴重な外貨を使っての贅沢旅行"という社会的通念を引きずっての渡航だった。第一, ともすると「不要不急の海外旅行」という政治家の発言さえ飛び出したりしたのも,そんなに遠い音のことではない。そんな日本にとって政府自らが黒字減らしの一環として旗振り役をかって出た「テンミリオン計画」は,歴史に残る180度の転換だった。所得の増大によって経済的制約が取り払われ,パッケージの開発等によって費用や言葉,安全性といったハードルが次々とクリアされてきた日本人にとって, ``貴重な外貨"という心理的な圧迫感が取り除かれた意味は大きい。残るは“時間"という休暇の問題だけだ。2つ目は,ジャンボ。ジェット機の開発に代表される技術革新の成果である。亜音速のスピードで飛ぶジェット機の登場は,所要時間×収容力の上で飛躍的な輸送量の増大をもたらしたが,それを何倍にも拡大したのが,ジャンボ・ジェット機の就航だった。乗入れキャリアが増大し,日本と各国を結ぶ新たな路線網が敷かれ,デスティネーションにおけるホテルの整備が急ピッチで進み,一度に大量の座席を販売するためのプロモーショナル運賃が次々と登場,そのことがまたフライトの増加をもたらし,巡りめぐって海外旅行の低廉化につながっていった。昭和40年から62年までの22年間で日本人の平均家計収入は約4倍増えたが,同じ期間のホノルル向けバルク・GIT運賃は2倍に留まったため,実質的な負担率は単純19644 4 Eにみて2分の1に低下した。自由化当時,月給20カ月分を要していた“夢"のハワイ旅行は,現在1カ月分でもおつりのくる買い回り品となって,新婚旅行からシルバー旅行まで幅広い客層をコンスタントに集めることのできるナンバー1デスティネーションとなっている。マスツーリズムと旅行業の役割3つ目は,こういった需給構造の変化をバックに,旅行産業全体が果たしてきた海外に出やすい環境づくりだ。買い手の依頼に基づき必要な手配を行っていくという15●_=轟:ψ籠星薇了`ゝ螂醸′″θ口" 「司第一回ハワコ′―散行:移"コレ1陣