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概要

25_1964-1988

旅行産業25年の歩みと今後の課題●新たな時代へ国際的な視点を求められる旅行産業界トラベルジヤーナル編集局長高梨 洋一郎7000万人が体験した海外旅行海外旅行が自由化されて満25年が過ぎた。業務出張のみに限定されていた外貨の国外持ち出し枠が,一般観光にも認められた昭和39年(1964年)といえば,わが国の海外旅行史上,最も記念すべき年だが,社会全体の上でも戦後の歴史にひと区切りをつけることになった,節目の年であった。わが国にとって,昭和16年に始まった第2次世界大戦から,敗戦による混乱の中でただひたすら足元のみを見つめ続けてきた戦後復興期は,いわば国際社会との断絶期であった。それだけに,39年10月,世界一の高速列車として登場した東海道新幹線の開業は再び世界の水準に追いついたという日本人の自信を呼び起こし,東京オリンピックの開催は文字どおり国際社会に復帰した国際化元年でもあった。そんな国際社会への復帰ムードの中でスタートした海外旅行の自由化は,社会的にはむしろ静かな第一歩だった。この年,海外旅行に出かけた日本人は僅か12万7000人,その大半がもちろん業務渡航だった。1人年1回500ドルという制限付きながら“憧れの"海外物見遊山旅行に出かけられるのは, ともかく金のあるごく一部の特権階級だけだった。自由化後の一番機でハワイに飛び立ったパッケージの費用が36万4000円,当時の大卒初任給のざっと20カ月分であり,ヨーロッパ旅行にいたっては3年分の給料をまるまるため込まないと最低の旅行費用すら捻出できない,高嶺の花だった。新婚旅行は新幹線のホームで友人達の派手な見送りを受けての関西旅行が相場で,贅沢しても九州。宮崎への飛行機旅行だった。それから四半世紀,その時生を受けた子供達にとって,新婚旅行は海外がごく当り前になり,今年のゴールデンウィークには, 5人に1人の首都圏ヤングが海外観光旅行に飛び出すまでになった。まさに,海外旅行の黎明期を知るものにとっては,隔世の感である。年間12万人から840万人へ。自由化25年は大衆海外旅行時代そのままの歴史であったと同時に,国際社会の空気をどん欲に取り込み続けてきたわれわれ日本人にとって,第2の開国ともいうべき4分の1世紀であった。25年間の延べ海外渡航者は7000万人。1億4000万の目が海外を直体験,戦後日本社会の国際化に対し,強力な後押し役を果たしたことになる。これだけ短期間の間に,海外への渡航者が急ピッチで増え続け,いまなお, 2桁台の高度成長を続けているケースは世界にも例を見ない。7●ヱイ″´″