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概要

25_1964-1988

「985 C)ni' oi the Wor ci s ['orr l tadinq Weekly Trave] l rztrle Nc\\spdPeis 1985. 4.1密上最高0465万8333人|,本務省統計, 1984年ll本人出国者数日立つビジネス旅行の伸びロロ爾 中国と20代女性が強含み●台湾で日本人団体旅行バス転落(1・6)●「旅行業公正取引協議会」設立総会(1・23)● ジェットツアーが海外ホテル即時予約可能の「ジェットツアー・ワールドホテル・システム」導入(3・4)● 厚生省が日本の真性エイズ患者1号確認(3・22)●主催旅行業者の営業保証金50%アップ実施(4。1)● タヒチ政府観光局日本事務所開設(4。1)● セイシェル政府観光局日本事務所開設(4。1)● 中曽根首相が「輸入品1人S100購入」を提唱(4・6)● イプス・ハンガリー旅行社東京事務所開設(4。11)● パンアメリカン航空が太平洋路線をユナイテッド航空に売却発表(4・22)●OTOAがJATAに旅費支払いに関する要望書提出(5。1)● NCAがサンフランシスコ,ニューヨークヘ乗り入れ(5。8)● トランスワールド航空機がハイジャック(6。14)● 日本・ニュージーランド間のワーキングホリデイ制度発効(7・1)●観光労連が添乗員派遣サービス「フォーラムジャパン」開始(7・1)● 「労働者派遣法」公布(7・5)●JATAが観光客受入国への援助,長期休暇制度の導入,土産品免税枠の拡大等の「海外旅行促進のための要望書」を運輸省ほか各省へ提出(7・19)● 日航の羽田発大阪行B747 SR機が御巣鷹山に墜落。524人中生存4人(8。12)●G5,ドルの対外価値適正化で合意。急速な円高始まる(9・22)● 全国空が豪州パースヘ初のチャーター便(9。24)●パレスチナゲリラがイタリア客船アキレラウロ号をシージャック(10。7)●米運輸省がユナイテッド航空のパンアメリカン航空太平洋部門買収を承認(11・6)● 閣議で「航空憲法」の廃止を決定(12・17)● ローマ,ウィーンの国際空港でテロ(12・27)開くものであり,UAが全力をあげて太平洋に取り組むことを力説した。難航していた日米航空交渉が同じ4月,ようやく合意に達し,米国からアメリカン航空(AA),デルタ航空(DL),日本から全日空(NH)が新たに日米路線を開設することが確実視されていただけに,PAとUAの交替がより印象的に映ったのである。戦後の国際航空の旗手であり,名実ともに日米路線を引っ張ってきたPAは,合意から10カ月後の翌86年2月10日,最後の翼を日本の空からはばたかせた。太平洋新時代は,新しい配役でここに幕を開けた。観光渡航は381万6211人外客,71%増の203万6488人` 1‐i.. ._:_ Ⅲ…爾吻鰯轟瑕蝙圏――神=,お|,ロ ロ“"宰薇ⅢO■ ●●,,■ つく0“ ,● ●0′ |■■■園厄PA撤退し“太平洋新時代"の幕開き1985年4月22日の外電は, この日パンアメリカン航空(PA)とユナイテッド航空(UA)の合意をトップで伝えた。内容はPAの太平洋路線を,機材,要員ともにUAに売却するという,日本の航空・旅行業界には全く「寝耳に水」のビッグ・ニュースであった。デング(航空規制緩和)の波に乗り遅れたPAの経営が深刻な状態にあるというニュースはそれまでに何度も伝えられていた。苦境を乗り切るために,本社ビル,あるいは傘下のホテル・チェーンの売却という苦しい選択を余儀なくされてきた同社が放った最後の切り札が,この太平洋線の譲渡である。世界最大の民間航空会社を自負しながら,遅々として進まぬ国際線進出に苛立っていたUAだけに,PAの太平洋路線は実に価値のある買い物であったと思われる。日本で記者会見を行なったリチャード・フェリス会長(当時)は,UAによるサービスが日米間の航空路線に新時代をT¨・・II I¨ ._ |■||1_Z9