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概要

20_1964-1983

ろうし,ますます加速されてゆくにちがいない。そして, どのような方法であれ,みずからが住みなれた日本文化以外の文化にたとえ短時間でも体験的に接触することによつて, 日本人の頭のなかにある世界地図は大きく変貌しつづけているのである。すくなくともわれわれのなかに多かれ少なかれ存在している精神的鎖国の状態は,海外旅行という方法によってすこしずつ解除され,ないしは崩壊しつつある, とみてよろしかろう。なんベんもくりかえすようだが,全体的にみてこれだけ多くの日本人が海外旅行にでかけるようになったという事実は, よろこばしいことなのである。残題航空路線にかたよる世界観ただこうした現状をわたしは楽観的にだけとらえるわけにはゆかない。なぜなら, この海外旅行ブームともよぶべき現象は今後の日本と世界とのあいだに さらに多くの問題をのこしているからである。まず第一に 日本人の頭のなかにある世界地図が変貌したとはいうものの,そこでとらえられている「世界」には大きなかたよりがある。なぜなら日本人の海外旅行には一定のパターンがあるからだ。一方では比較的,手軽に行けるという意味で,香港,台湾, グアム,韓国など, 日本にちかい地域に低料金ででかけるグループがある。他方には,戦後40年にわたってアメリカという国との交渉が深く,またとりわけ若い世代のあいだにはアメリカの大衆文化が定着してしまっていることを背景にして,アメリカヘの旅行をする人々のグループがある。つまり,アジア近隣諸国とアメリカという2つの局限された地域が日本の海外旅行者にとっての主要な「外国」なのである。しかし,いうまでもなく世界というものはこれら2地域に限定されるわけではなく, もっと大きな広がりをもっている。もとよリヨーロッパ旅行をする人たちもけっしてすくなくはないし,また,インドやネパールなどにあこがれる若者たちもすくなくはない。だが,中南米,アフリカ,オセアニア,あるいは東ヨーロッパといった地域は日本人にとって, まだ「外国」としてあまり馴染みは深くはなさそうなのだ。「国際化」ということばはほとんど毎日のように日本のジャーナリズムをにぎわせているけれども,海外旅行者の行先地から推測するかぎり,その「国際化」はまだ世界を充分におおいつくすところまでは到達していないのである。じっさい,東南アジアにしてみたところで, フィリピンやシンガポールに行く人はかなりの数にのぼるが,マレーシアやブルネイに足をのばす人はそれほど多くはないのが現状なのではないのか。その理由のひとつは,われわれ日本人の多くが日本航空というわが国の航空会社の運航する国際線に依存することがあまりに大きいからであろう, とわたしはかんがえている。周知のように日本航空はその業績からいって,世界の主要航空会社のトップ5位までのなかにすでにかぞえられるようになつているし, 日本航空によせられる信頼度は国際的にきわめて高い。そのことをわれわれは日本人として誇りにすべきであろう。そして, 日本人である以上,機内で日本語が標準語として使われる日本航空を利用したくなるのも人情というものだ。じっさいアメリカのばあいをとってみても, 日本の旅行者が集中するのはニューヨーク,サンフランシスコ,ロスアンジェルス, そしてシカゴといったような日本航空の寄港地に集中するかたむきがあり,テキサスだのワイオミングだの,あるいはテネシーだのといったようなアメリカ航空会社の国内線に乗りつがなければ行くことのできない地域には, 日本人旅行者の数はきわめてすくないのである。ふたたび個人的経験をかたることをお許しいただきたい。わたしは1983年の秋,アメリカ各地での講演旅行に派遣され,ほぼ1月にわたってアメリカ各地を転々とした。サンフランシスコまでの日本航空の乗客は9割ほどまでが日本人であった。しかし,サンフランシスコからテキサス州のオースチンにむかうウェスタン航空に乗りついだとたん,その飛行機にはわたし以外にひとりの日本人もいないことを発見した。そのあとわたしの旅は,カンサス州, ミズリー州, フロリダ州などに及ぶ。当然のことながら,わたしはアメリカの国内線によって旅行25