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概要

20_1964-1983

碁●」万●評●メ診まで20年間におよそ4,000万人の日本人が海外に出たという勘定になる。こんなにも多くの日本人が直接体験として外国を知った時期は過去には想像もつかないことであった, というべきであろう。その手段が「パック旅行|であろうと, また海外での滞在日数がわずか3日間であろうと, とにかく自らの皮膚感覚でことなった文化を体験するということは,それじたいすばらしいことだとわたしはおもう。評論家とよばれる人々のなかには,添乗員が手にする小旗のあとをぞろぞろとグループで移動する日本人の団体観光客を軽蔑したり,非難したりする人もすくなくないし, とりわけ「農協|のグループ旅行などはカリカチュアの対象にされたりしている。しかし,そんな批判をしたり,あるいはグループ旅行を嘲笑したりするのは,わたしにいわせれば大きなまちがいだ。たしかに日本の大衆は外国,とりわけ西洋のマナーなどについて理解のゆきとどかないところがあるかもしれない。しかし,外国文化について無知であるのは, どこの民族をとってみてもおなじことだし,むしろわれわれとしては海外旅行がエリートのものではなくなり,東北の寒村の農民までもが自由に海外渡航ができるほどに日本の大衆社会化現象が進行したことをよろこび,かつ誇りにおもうべきであろう, とかんがえる。とにかく, ことなった文化を体験するということはそれじたい善であり,また日本人にとってのぞましいことなのだ。海外旅行は日常生活の一部そんなわけでこんにちの日本社会では,海外旅行というものはもはや日常の行動のひとつとしてけっしてめずらしいものではなくなった。わたしなどの個人の経験をふりかえってみても,1950年代にはじめてアメリカに留学することになったときには,親族はもとよりのこと友人,知己,そして同僚や先生がたまでもが飛行場に見送りにきてくださった記憶がある。べつに水盃を交わすという大げさなものではなかったが,「洋行」というのはえらばれたもののみが経験することのできる一生いちどの重大な事件である, といったような思いこみが,すくなくともその当時まではのこっていたのだ。2イところが現在では,海外に出かけるということは国内旅行とそれほど大きなちがいをもってはいない。じじつ,時間距離に換算していうならば,わたしなどのばあい北陸地方の山村調査にでかけるよりは,むしろシンガポールやサンフランシスコに飛ぶほうがずっと距離はみじかいのである。鉄道を利用し,バスを使ヽ ときにはレンタカーをかりて, 日本の村にたどりつくよりは,時速800キロ, ときには900キロのスピードで5,000キロあまりの距離を飛行することのほうが時間的にもみじかいし,また時差の問題はともかくとして,肉体的疲労からいっても楽なのである。さらに人が海外旅行にでるからといって,餞別をわたしたりする習慣もなくなったし,見送りにくる人もいなくなった。ましてや,長期の駐在などのばあいはともかくとして,海外旅行に出るからといっていちいち周囲にあいさつをしたりする習慣も完全に消滅した。いうなれば,海外旅行は現代日本人の日常生活の一部なのである。そこには,なんらとりたてて特別のこともないし,異常なこともない というべきなのであろう。そのことは国際空港での海外への旅客の服装をみただけでもすぐわかる。ひとむかしまえまでは,海外旅行というと服を新調し,靴もあたらしいものにはきかえ, カバンまで新品をかかえてでかけたものだが,最近ではほとんどふだん着のままで国際線の飛行機に気楽にのりこむ人々のすがたがめっきり増加してきたのである。とりわけハワイやグアムにでかける若い人々のばあいなど,まるで湘南海岸まであそびに行くような服装でいとも気楽に飛行機にのりこむのだ。かれらのばあい,旅券だのビザだのといったような公式の書類の携帯義務があることをのぞけば,そもそも「海外旅行」という意識すらないのではないかとさえおもわれるのだ。それが日本人の国際化というものであるかいなかはよくわからない。だが,すくなくとも日本人にとっての海外旅行はかつての時代とはちがって,そんなに大げさな,そして特別なものではなくなってしまったのだ。日本人の海外旅行について, また世界についての認識や態度は,それだけ革命的な変化をしめしてきたのである。こうした全体的傾向はたとえば本格的核戦争といったような異常な事態が発生しないかぎり,今後もつづくだ