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概要

20_1964-1983

1968年 ジェットツアー発売ホーJレセーラーのパイオニア0菅原清美氏大望を胸に米国から帰国I菅原清美氏略歴〕1932年大阪生まれ,京都大学英文科卒。日本交通公社を経て,60年,(榊ニュー・オリエント・エキスプレス設立に参加。69年,パッケージ旅行ホールセール会社・(閑世界旅行設立に参加,常務取締役。74年5月から同社社長。社名変更により,83年10月から(褥ジェットツアー社長。世界旅行(現在のいジェットツアー)設立当初,ホールセール・パッケージの話を聞きたいという電話がかかれば,資料をカバンに詰めて説明に出かけたものだった。「当社のアニュアル・レポートは,株主を参加順に記載しています。lo社の資本参加でスタートした当社が, どのよう|′C変革・発展してきたかを物語るもの」と,菅原清美氏が,会社発足当時を回想する。「ジェットツアー」の基本構想は,菅原氏がニュー・オリエント・エキスプレス・ニューヨーク支店長だった1963~ 65年にまとまった。当時,アメリカ発で,日本を含むアジア方面ヘパッケージ・ツアーを送り出す計画をすすめていた菅原氏は,「米国からパッケージを送るのだから, 日本から米国ヘパッケージを送れない理由はない。帰国したら,パッケージ。オペレーターをやろう」と考えた。「ジェットツアー」誕生へ向けて具体的に動き出したのに帰国して,本社の企画部長に就任した68年6月から。そのころ,「ジャルパック」は発売されていたが,「ルック」はまだ発表前。旅行業界では,旅行業13社の共同出資によるチャーター会社設立計画もすすんでいた。当時,ホールセール理念はまだ確立しておらず,パッケージ・ッアーを商品と考える人も少なかったので,ホールセール・パッケージ会社構想を理解してもらうのには時間がかかった。「若造に引き回されるのはどうか, といった空気も強くありました」。‐一つのヤマは,菅原氏が阪急交通社の阿部泰一副社長(当時)と会見した前後。阿部氏は,13社の計画の代替としての,ホールセール・パッヶ―ジ会社設立の意図に賛成してくれた。「ジェットツアー」がニュー・オリエント・エキスプレスから販売されたのは,68年9月。翌年7月に,同社を中核に同ツアーを専門商品とするホールセール会社|~世界旅行」の設立をみた。発起人となったのは予定した半分の6社。カバンを持って説明に回るのは,発展のために越えるべきもう一つのヤマだった。!9701「 B747導 入ジャンポ1番機を迎えた度田直氏遅延と故障一大器晩成の巨人機に泣く〔廣田 直氏略歴]B747(ジャンボ)就航当時,パンアメリカン航空(PA)日本・韓国地区旅客営業部長。72年PA退社, 日本ビューホテル入社,成田ビューホテル支配人などを経て,現在、同社取締役副社長。1970年は, 日本の旅行業界にとって画期的な年だった。3月に日本万国博が大阪で幕を明け,バンアメリカン航空(PA)のB747が日本乗入れを開始した。また, 日本航空, ノースウエスト航空も, この年にB747の就航を開始,本格的な大量輸送時代の到来を迎えた。先鞭をつけたPAのB7471番機は, 3月11日,′ヽワイから東京まで飛んできた。「B747は,大量。高速時代のシンボルでしたね。旅行業界は,その話題で沸き立っている感じでした。ところが,この1番機が予定より3時間以上も遅れましてね。日没前,テレビが撮影できる5時ごろ到着のはずが,実際着いたのは8時20分過ぎ。それでも報道陣は帰らずに待っていてくれました。フィンガーでは,日本航空の関係者がストップ。ウォッチ片手に,オペレーションをどうやるのか見守っていましたが,乗客は167名で,ハンドリングの問題はなし。翌日の新聞は,“ ジャンボ機故障で遅れる"とネガティブぞした」― 当時,PAの日本・韓国地区旅客営業部長だった廣田直氏は,1番機到着の様子をそう語る。就航から数ヵ月間,B747はエンジン・トラブルや遅延の連続で,新聞に故障を書き立てられた。就航後しばらくして,旅行業関係者やマスコミを招待してのインビテーション・フライトを計画した。「運輸省航空局から,朝6時ごろ東京上空周遊ということで許可をもらった当日は,朝から土砂降り。皆さんには午前4時30分までに羽田へ来てもらへ午前6時,満席状態でタクシーウェイに出ていざ飛び立とうとしたとき,電気系統の故障のため飛ベないと分かった。お帰り願うさい,招待客約400人の一人ひとりに頭を下げて謝まりました。ですから, ジャンボといえば,最初のフライトの遅延,故障で飛ベなかった招待飛行のことを真先に思い出します_」。B747が,たとえば,707より高度で10%,速度で10%アップなど,それまでのジェット機よりすぐれた性能を発揮しはじめるのは,就航1年後だった。16θ“腱喘