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概要

20_1964-1983

回想と秘話力~■■9 あのと&私は●D●1964年に海外渡航が自由化されたとき,需要層がわずか13万人だった市場は83年の423万人マーケットにまで成長した。揺藍期から今日へ至る軌跡は,さまざまな出来事と,それらを潜り抜け,克服して現在の繁栄へ結びつけた人たちで彩られる。そのどれもが“初体験"であり,おどろきや苦しみをもたらし,努力を注がなければ次の階段を登ることのできない事柄だった。以下,この20年間に足跡を残し,今日の支えとなった人たちから,当時の思い出やエピソードを聞いてみた。!964年 海外渡航 自由化第―陣のツアーに添乗した土井憲氏旅客もコンダクターも初体験の海外旅行[土井憲氏略歴〕 1959年日本交通公社入社。64年の海外渡航自由化後,初のツアー・コンダクターを務めた1人(方面によつて,さまざまな“初"があった)。主として,海外旅行のセールス。手配を担当。現在,海外旅行本社内支店外商担当課長。1964年4月,海外渡航自由化とともにいろいろなツアーが日本を飛び立った。その年24歳だった土井憲氏が初の添乗員を務めた「アメリカ西海岸。ニューヨーク20日間の旅」もその一つ。一行25名は4月23日に羽田を出発し, 5月12日に帰国した。「このソアーは,自由化目指してファッという一般募集のものと違って,半分はウォルト●ディズニーの招待でした。当時, ミッキー。マウスやドナルド・ダックなどディズニーのキャラクターを使って商売していた日本の企業の社長,重役が招待を受けたのです」。「1週間をディズニーランドで過ごしました。自由化後ここにきたのは,われわれが初めてだったと思います。当時,1軒しかなかったディズニーランドのホテルに泊り, 1週間乗り放題,見放題,その間, ビバリーヒルズにあったウォル卜・ディズニーの邸宅へも招待されました」。当時,アメリカに関する情報源の一つは映画。「その映画で見たような邸宅を目のあたりにして,豪華さに感嘆しました。パス, ビルディング,車など,すべてにスケールが大きく,やはリアメリカは富める国という印象でした」。自由化されたとはいた 1回の旅行に持ち出せる金は500ドル。懐ろのさびしさと比較したのかもしれない。これだけでは足りないので, ドルをネクタイの芯やパジャマの襟芯に入れて持ち出す人もいた。土井氏が“いい習慣"だと感じたのは,出発前に最低2回行なった説明会,羽田のVIPルームでの結団式。「見送りの人がたくさん来て,万歳で送られる。帰国時も多勢の人が出迎えてビールで乾杯。そのあとも最低1回は集まり,思い出を語ったり,写真交換したり。コミュニケーションがあり,1青がありました」。土井氏にとって初の海外経験となったこのツアーは, ロサンゼルスのあとシカゴ,世界万国博開催中のニューヨーク,ラスベガス,サンフランシスコと周遊。「皆さん初めての海外旅行だったせいか,私の初添乗もパレないですみました」。|157齢穣||||、鸞^慇■⑮》‐