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概要

20_1964-1983

る新規旅行業者乱立への,ある程度の歯止め効果を生んだことは否定できない。いずれにしろ,弁済,苦情処理など,国家業務の業界団体への委託実施も含め,新旅行業法下では,1日あつ旋業法時代に比べて,旅行業者の法的位置づけが一挙に明確化され,旅行業の社会的地位の確立を図るうえでの貴重な一里塚とな産油国が油のコックを突如締めることによって巻き起こった石油危機は,1974年が明けると,世界経済に一層深刻な影響を及ぼし始めた。予想以上に厳しい不況の中で,過去20年近くもの問,高度成長を続けてきた日本経済は一挙にマイナス成長に転じるとともに未曾有の伸び率を続けてきた海外旅行市場も,急激な冷込みに襲われた。だがその後,激動,混迷から,再び2桁成長へと回復していった70年代後半は,根強い海外旅行需要に支えられて年間4∞万人台市場を実現する第2期大量輸送時代であり,高度成長から安定成長へ移行する節目の年であった。った。なお,70年3月に開幕した大阪万博の成功は,インバウンド面で, この種の国家行事がきわめて重要な役割を果たしうることを実証することになった。70年代前半は,アウトパウンド,インバウンド両面にわたり,わが国国際旅行史上の黄金時代であった。急」という自粛ムードのひろがりや,持出外貨枠の縮小が,海外旅行需要の足を引っばった。燃泊費の大幅アップに加えて,地上費や人件費が高騰したことは,航空会社の経営を圧迫し,運賃を値上げすれば一方では需要減退を惹き起こすという悪循環の中で,オイル・ショックの翌年には,日本航空を含む世界の主要キャリアは軒並み,大幅な経常赤字を計上することになる。大型機で大量の貨客を一度に運ぶことによって,単位当たりのコストを大幅に下げるという,大量輸送。大量販売のセオリーは,他の産業同様,一方では無尽蔵に安い油を前提にしてのものであった。その前提条件の一角が崩れ,なおかつ,一度ふくれ上がった大量輸送体制を維持せざるをえないままに推移した70年代後半は, いわば難しい舵取りを要求された修正大量輸送。大量販売時代であった。ともあれ,74年,75年と,前年まで40%以上もの高成長を続けていた海外旅行市場は, 1桁成長がようやくという,それまでの破竹の伸び率からみると考えられないような状態を迎えることになる。しかし,それもわずか2年間,その後は再び2桁成長に戻し,年間の旅客増が40~50万人という第2期高度成長期を迎えることになる。マイナス成長が当たり前, よくて1桁成長といわれた70年代後半の経済環境の中で,海外旅行市場のみが,石油危機後3年目にして早くも2桁成長の回復基調を辿り始めた理由は,大きくみて3つある。高度成長のひずみ吹き出す1つは,ITC(包括旅行チャーター)の登場や新東京国際空港の開港に代表される,新たな海外旅行促進剤の登場だ。とはいえ,いずれも当初,期待されたようなカンフル剤とはならず,新空港は燃油供給力不足,ITCに至っては,“ チャーター時代の到来"と騒がれた前宣伝の割には,東京。大阪発はダメ,地方発のみ可という,未熟児としての誕生だったが,それでも暗い話題が多い中での明るいニュースとして,市場と旅行産業の活性化を促した。2つ目に円高時代の到来による海外旅行の割安感と,乱売合戦による海外旅行商品の低廉化である。70年代後半は,高度成長から低成長時代へのギア・チェンジの中で,高度成長期におけるひずみ是正が, さまざまな分野で叫ばれた時代だが,廉価販売=高度成長に慣れきった体質は,採算を度外視した乱売合戦を生み,それが旅行業の窮乏化現象を促す一方,市場規模を拡大するという,皮肉な結果を生んだ。市場の拡大と旅行業の発展は必ずしも軌を一にしなら と指摘されたのもこの頃である。3つ目は,一度火の付いた日本人の海外旅行熱が, きわめて短期間の内にかなりの深化をみせ,根強い需要となって,すっかり定着したものになったことによるものである。もちろん, このほかにも, 日台線の再開や米国建国200年祭,サイバン線の開設,東南アジア向け格安GV 25の登場,さらには中国旅行の一般募集開始など,需要増を促した要因や出来事は, ざっとみただけでも,実にいろいろある。だが,70年代前半が供給先行型で,需要の半歩先を歩いていたのに対し,オイル・ショック直後から第2次石油危機までの70年代後半は,何ごとによらず,根強い海外旅行需要が市場回復の大きな要因となった,いわば“需要先行型"の時代でIイタ値|旅行業界へのオイル・ショックの影響は,まず,航空運賃の値上げとなってあらわれた。プロペラからジェット機, さらにジャンポ機の登場と, ドラスティックな技術革新と生産性向上によって,60年代後半から70年代はじめにかけ,急テンポで下がり続けてきた航空運賃は,一転,値上げに転じ,74年だけでも4回にわたるさみだれ式の値上がりをみせた。海の向こうの北大西洋線では,前年比40%減という大幅な落込みが伝えられたが,わが国でも,インセンティブや共催ものが手痛い打撃を受けた。不況の進展とともに「観光は不要不旅行熱が支えた第2期大量輸送時代激動・混迷から再び回復ヘ