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概要

20_1964-1983

量販売の基本的な仕組みが急ビッチで進められた,いわば大衆海外観光旅行時代のプロローグであり,離陸期であった。.自由化初年,早くも観光渡航者は全出国者の半分を占め,個人手配型業務渡航は団体募集型観光旅行へと,急ビッチに比重を移しつつあったが, この過程で誕生してきたのが,パッケージ。ツアーだった。旅行者の希望や計画に基づき,航空機や宿泊を手配し,スケジュールを作成するという,発生ベース型の旅に変わって,あらかじめ,旅の要素を組み合わせ,量産すれば安くなるという「セット旅行の思想」は,マス・ツーリズムの最も基本的な要件をなす。それだけにキャリア主導型ではあったが, 自由化直後における矢つぎ早やのパッケージ・ツアーの誕生は,持出外貨枠の拡大や大型旅客機の登場と並んで,海外旅行市場の急成長を支えた最も大きな要因の1つとなった。しかし,待望の海外観光旅行自由化といえども,実際に海外旅行できる人はまだまだ,ごく一部の特権階級に限られ,また, ジェット旅客機の登場で, プロペラ時代に比べ,座席提供量は飛躍的に高まったとはいえ,需要。供給ともに「大量輸送」というには,ほど遠い状態であった。大勢として60年代後半は,持出外貨枠の制限撤廃や緩和,パッケージ・ツアーの登場に代表される,大衆海外旅行のための制度確立の時代であった。規制緩和と制度確立の時代まず,持出外貨枠の制限緩和についてみると,64年4月1日から「1人1年1回500ドル」という厳しい条件付きでスタートしたが, 2年後の66年には「年1回」の制限がはずされ, さらに69年には, 1回の持出枠が700ドルまで,緩和された。戦後の復興経済の過程で,外貨が命綱であることを十分骨身に感じとってきた日本政府にとって,IMF 8条国への移行上,やむをえない“解禁"とはいえ,心中は清水の舞台から飛び下りるような気持ちであった。外貨減らしが話題になっている20年後の今日からみれば考えられないようなことだが,自由化直後の海外旅行は,大衆化という存在にはほど遠く,それゆえに“海外旅行"そのものがステータス・シンボルとなり,みやげ話に花が咲いた。持出外貨枠の段階的な緩和は,大衆海外旅行時代の進展を物語る何よりの証左である。一方,64年の, スイス航空による「プッシュ。ボタン」の出現は,65~ 66年におけるキャリア・パッケージ・ツアーの相次ぐ登場の端緒となって,業界をにぎわせることになった。しかし,それらはその後, 日本交通公社/日本通運の「ルック」,旅行開発の「ジャルパノク」,世界旅行の「ジェットツアー」,郵船航空の「ダイヤモンドツアー」など,いわゆる旅行会社主催によるホールセール・パッケージヘと,早くも,60年代末までに置き換えられてゆくことになる。ホールセールとリテールの機能の違いが業界通念として確立するのは,70年代における高度成長時代だが, 日本航空のホールセーラー会社「トラベル・エア」構想をめぐるキャリアと旅行会社の対立は,60年代の業界流通論を代表する象徴的なケースとなった。また,当然のことながら,60年代後半は, 日本の翼が次々と世界に伸び,外国の航空会社が日本に乗入れを開始するという,ルート開設。新規乗入れラッシュの時代であった。と同時に,1固々の企業から業界,そして国際関係までを含め,航空・旅行産業の基本的な制度が次々と確立された時期でもあった。レ外務省旅券課が,旅券発給業務を各都道府県に委嘱(64年7月)>JATA(国際旅行業者協会)とIATA戦後日本の復興と経済発展が世界の“奇蹟"と称されたのと同様,70年代前半における日本人海外旅行者の急増ぶり(国際航空運送協会)代理店協会が合併(65年2月)卜全国旅行業協会(全旅協)設立(65年2月)>在日外国政府観光機関協会(FGTO=現ANTOR)設立(66年2月)>観光労連結成(66年2月)>旅行業者協会世界連盟(UFTAA)発足(66年11月)>国連が「国際観光年」を採択。「観光は平和へのパスポート」のスローガン誕生(67年1月)レ公正取引委員会が,報奨旅行を「1人年1回10万円以内」に規制。公示(67年5月)レ航空機騒音防止法公布。施行(67年8月)レIUOTO(官設観光機関国際同盟)東京総会開催(67年10月)>ASTA(米国旅行業者協会)東京総会開催(69年9月)ざっと年表をひもといただけでも,国内外にわたり,旅行関連の組織や制度が,矢つぎ早やに設立・創設されていった時期であったことがわかる。そして最も大きかったのが, ジャンボ。ジエット機の登場を間近に控えての,パルク運賃の登場であった。観光旅行用の特別運賃GIT(団体包括旅行運賃)が日欧線に導入されたのは65年,太平洋線へは66年だったが,それからわずか3年後に普通エコノミー・クラス運賃の60%引きという,破格のパルク運賃の登場を迎えることになる。ボーイング747とコンコルドが,相次ぎ初飛行に成功する(69年2~ 3月)中で,大量輸送時代前夜は, にわかにあわただしさを増していった。自由化の年12万7,000人だった海外旅行者は,早くも4倍増の50万人にふくれあがっていた。に世界でもほとんど例をみない驚異的な出来事となった。革命的ともいえる大型旅客機の登場によって飛躍的に高まっジャンボ登場から第1次石油危機まで第1期大量輸送時代はじまるゴイI