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概要

20_1964-1983

誕生から安定成長期まで制度の緩和や航空運賃の低下など,時代の流れを大きく象徴する原因や現象をもとに「海外旅行自由化20年」を区切るとすれば,(1)自由化からジャンボ・ジェット機登場までのパッケージ。ツアーの相次ぐ発売にみるように来たるべき大量輸送時代に向けての対応が,あらゆる分野で巻き起こった初期海外観光旅行時代(1964~ 1969)(2)巨人機の登場によって名実ともにスタートした大量輸送時代の到来と,世界を震撼させた石油危機によっていや応なく区切りをつけさせられることになった1973年までの,いわば第1期大量輸送時代(3)オイル・ショックによる景気停滞の影響を受けながらも再び回復への気運をつかみ,そして再度の石油危機と, まさに激動と混迷に彩られた1979年までの第2期大量輸送時代(4)そして史上初めてのマイナス成長によって始まった,1980年以降,今日までの安定成長期と,一応, 4つの流れに分けることができよう。また, この20年を「わが国海外旅行史における大衆化のプロセス」と捉えれば,①最初の6年間を大衆海外旅行前史②次の10年間のうち前半4年間の第1期大量輸送時代を大衆海外旅行前期 ③後半6年を同後期 ④そして80年代を成熟期―とも,規定できようか。さらに,旅行業界というか産業側の対応も考え合わせ,かつ,人間の成長にたとえて時代区分を行なうとすれば,(1)誕生して,親の保護のもとで諸準備を進める,大量輸送へのプロローグとしての幼年期(2)肉体的にというか,量のうえで爆発的ともいえる成長をみせた,大量輸送時代という名の少年期(3)オイル・ショックという名の強烈な刺激を受け,深い悩みから再び自信をとり戻し始めた青春期(4)そして,大人社会への人口に立って,再び安定と着実な成長を期待されることになった青年期といった区分も可能だ。いずれにしろ,海外旅行自由化20年ということは,また,旅行産業にとっても20歳の誕生日なのである。市場特性等からみて,すでに今日の状況を成熟期と捉える見方も少なくないが,他産業と比べ海外旅行産業にむし“第2の開国"とも“昭和の開国"ともいわれる海外観光渡航の自由化から,輸送量が在来ジェット機の3倍というジャンボ機の登場までの60年代後半は,いわば,海外観光時代の助走期であった。制度の緩和に加え,東京オリンピックの開催で, 日本人にとって国際社会は一挙に身近かなものとなり,所得倍増政策の掛け声で一段と加速のついた高度経済成長が,大衆海外旅行時代の強力なパックボーンを形成し続けてゆくことになった時期である。海旅の概念変えたパッケージの登場戦後のどさくさの中から11ち直り、ろこれからが本格的に大入としての責任を問われる試練の時期を迎えるという意味あいにおいて, ここではあえて,「大人社会への入り口に立った海外旅行産業」との史観をとってみたい。ただ,冒頭での実質的な時代区分をベースとしながらも,年代の区切りをつけるため,(1)自由化から大量輸送直前までの,大衆海外観光離陸期としての1960年代後半(2)1970年代前半の第1期大量輸送時代(3)同後半の第2期大量輸送時代(4)80年代に入っての安定成長時代として,「わが国旅行産業にとっての海外旅行20年史」を概観してみたい。本人が再び自信と明るさを取り戻した昭和30年代後半は,「もはや戦後は終わった」という言葉に代表されるごとく,昭和史上でも大きな区切りの数年間であった。その中でも象徴的となったのは,1964(昭39)年のIMF 8条国への移行と, それによる海外観光渡航の解禁であり,それに一層の華を添えたのが,東海道新幹線の開通と東京オリンピックの開催であった。|~東京五輪音頭」と「幸せなら手をたたこう」の明るいムードに乗って,日本は再び自信にあふれ,名実ともに国際社会の仲間入りを果たした記念すべき年となった。この年から大量輸送時代のシンボルであるジャンボ機が登場するまでの5~ 6年間(1960年代後半)は,大量輸送/大自由化から1960年代後期まで大衆海外旅行時代の曙rィθ20