ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

20_1964-1983

羽田沖の墜落事故に始まリホテル火災,航空会社の倒産,大手旅行会社の異例の長期スト といったように,なにかと事故・事件の多発した“冬の年"であった。なかでも象徴的だつたのはレイカー航空,ブラニフ航空の倒産で,それまでの「メジャー航空会社は倒産しない」の神話は崩れ去った。一方,改正旅行業法の公布, 6年間に及ぶ日米航空交渉の合意など,一つの区切りの年ともなつた。新方に4‐テ業,去力'公冶j消費者保護を前面に1971年の改正以来10年ぶりの大幅改正となった旅行業法は,旅行者保護をさら|′∈大きく進めることを目的としたもので, 4月23日公布された(施行は1983年4月1日)。改正の内容は,①主催旅行の確実。安全な実施の確保,②不健全旅行への関与の禁止,③無登録業者対策,④旅行業務取扱主任者制度の改善,⑤旅行業代理店業制度の改善,③旅行業務の取扱料金の表示,⑦業務運営の適正化に関する指導・監督― などが主なもの。なかでも主催旅行については,改正作業の中で何よりも大きな柱として位置づけられた。70年代における大量販売時代の中で,旅行の形態は手配旅行から,旅行会社が主体的に企画。手配し,参加者を募集する主催旅行に取引きの重点が移っているにもかかわらず,旅行業法や旅行業約款が主催旅行という取引形態に必ずしも即応したず,それがさまざまなトラブルの発生原因ともなっていた。主催旅行に関しては,具体的に,標準旅行業約款の制定,旅程の管理,営業保証金の充実など旅行会社に責任を求めることで,消費者保護を図っている。とくに旅行取引きの基本となるべき旅行業約款が一新され,特別補償という新しい概念が取り入れられたことは,今後の旅行産業の在り方に一つの転換をうなが●昭和J/字すものとなった。特別補償は旅行会社の無過失責任が前提で,主催旅行参加中の旅行者の事故に対して保険金が支払われる制度である。補償額は死亡の場合,海外旅行1,500万円,国内旅行1,000万円。しかし,特別補償制度の存在は,皮肉なことに1983年12月のイベリア航空機事故のとき,初めて世間一般に認識されることになった。また,「主催旅行の取引きの性質に応じた法規範が定められたことにより,需要先行の手配産業としての旅行業の位置づけが,需要創造型の, いわば『旅のメーカー』として認識されるようになったことは,旅行産業が近代産業として発展していくうえで,大きな意義がある」(「時の法令」より)。III安が旅行業界を直撃為替差損で四苦八苫1月=224円台, 2月=234円台, 3月=240円台, 4月=245円台, 5月=236円台, 6月=250円台, 7月=254円台,8月=258円台, 9月=262円台,10月=271円台,11月=266円台-82年1年間のおおまかな円相場(1ドルに対する値)の動きである。81年11月2日以来2ヵ月ぶりに1ドル=230円台に急落した1月28日を皮切りに円安ドル高傾向は月を追うごとに顕著となり,11月には82年の最安値を記録した。その後米国の公定歩合引下げを好材料にドルが若干寄り戻すものの,12月には1ドル=243円台の水準で,円安ドル高は, この1年の趨勢となった。円安ドル高の原因は,①アメリカ経済の停滞,② 中束の情勢不安による原油値Lげ、()欧米諸国の貿易不均衡に対するI!本への制裁― などがあげられる。円安ドル高傾向は, 日本の産業に大きな打撃を与えたが,“輸入業者"である旅行業者にとっても同様で, ことにホールセーラーは,そうした事態に対する防衛策をとっていたものの,円安ドル高傾向の長期化にお手上げの格好となった。下期(9月~翌年3月)だけをみても各社とも円の対ドル・レートを230円から250円ぐらいで設定しており, ざっとみても1ドル当たり20円から40円の大幅な差損が出るという勘定になった。ハワイを例にとると,旅行者1人当たりのランド費用は平均250ドルとみられるが,それだけでもざっとみて1万円近くのコスト・アップになった。このため,旅行業界では対処策としてツアー価格の値上げを考えぎるを得なくなるわけだが,結局一部ホールセーラーを除いて価格改訂は行なわず,据え置きとなった。①低迷気味の市場に一層水をさす,②業法改正を前にした駆け込みととられるのは得策ではない,③低価格商品がまかり通っている実情を是正せずに差損分の調整を図るのは旅行産業に対する消費者の不信を買う, といったことが主な理由だった。いずれにしろ,航空運賃値上げを理由としたこれまでの価格改訂と違ヽ独自の判断が求められるだけに, ツアー・プライス・リーダーを自認するホールセーラーの真価が問われるケースとなった。レイカー, ぎ倒産“不倒" 話崩れる1979年の第2次オイル・ショックを契機に翌80年から始まった世界的規模での航空不況は82年に入って一層深刻化し,それは, 2月の英国レイカー航空, 5月の米国ブラニフ航空の相次く゛倒産という最悪の形となって表われた。この航空不況に業界内外の要因が複雑に絡み合い,それらが相互に作用してもたらされたものであり,到底一朝一夕に解消しうるものではなかった。1970年代に入ると世界各国の航空会社は相次いで大型機材を導入,それに伴って誕生した各種割引航空運賃は海外パッ歴営危機に直万する航空企業トレイカー航空倒産(2月)トホテル・ニュージャパンで火災(2月)レfl本航空機が羽田沖で墜落(2月)>改正「旅行業法」公布(4月)レブラニフ航空倒産(5月)>日米航空協定暫定取決め合意(6月)レJATAが業界秩序維持機関rOM設置(7月)>日米問チャーター便の配分決定(9月)トパンアメリカン航空が世界一月路線中止(11月)旅行業界重大ニュースIJ`