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概要

20_1964-1983

一要素である。一方では旅行市場の成熟が消費者主義の台頭を招き,旅行商品をめぐるトラブルは増加の一途にあった。買春ツアー問題も含め,旅行約款の改正が現実のものとなり,運輸省観光部は旅行業制度検討委員会に約款小委員会を設置,約款改正案を準備する。そこで最大の課題となったのは,主催旅行における旅行会社の責任であった。一般募集が解禁となって以来,急スピードで伸びた中国旅行では,旅行者の増加に伴い, トラブルが頻発, とりわけ香港経由の桂林ツアーでは10月,3,000人という大量のオーバープノキングが発生,マスコミでも話題になった。桂林は洋酒メーカーのコマーシャルで一躍有名となり,中国旅行ブームの原動力となったデスティネーションである。それ以前の中国旅行は中国国際旅行社総社(CITS)に一本化されていたが,地方の分社,支社から直接仕入れを行なう自主対連方式が増加し, こうしたルートの錯綜が桂林の混乱を招いた。ちょうど約款改正案の作業中だっただけに旅行商品をめぐるトラブルの増加は,業界側の立場を弱める結果となった。そして年末には, スキー・ツアーのホールセーラーであるジャンポセブンが倒産した。多数の消費者に被害が及んだため,マスコミもこれを大々的に報じ,社会問題にまで発展した。旅行業法の改正で営業保証金の大幅増額が決まったが,ジャンボセブンの倒産が一つの基準になったのは確かである。 (J.M.)|???|???? ???????????????l? ?|? ?????1981年に入り, わが国経済は比較的順調に第2次オイル・シヨンクを乗り切り、ゆるやかな回復基調に入った。これを受けて観光は国内,海外とも回復傾向を示し始めた。国内観光は国民1人当たり年間1.09回,同じく1人当たり延べ宿泊数1.99泊と,前年をそれぞれ3.8%,9.9%上回っ1981年最大の国内イベントとして,神戸市のポートアイランドで, 3月19日から9月15日までの6ヵ月間「神戸博ポートビア'81」が開催された。神戸港沖に浮かぶ「21世紀の海上都市・ポートアイランド」を舞台として,「新しい“海の文化都市"の創造」をメイン・テーマに多彩なプログラムが繰り広げられた。沖縄海洋博以来の国内旅行の一大イベントとあって,旅行会社も送客態勢を整―・方,海外渡航者の動向をみると,上半期は対前年同期比1%減にとどまったものの,下半期には回復が著しく対前年同期比6%の増加まで持ち直した。これに伴って通年でも前年を2.5%上回る400万6,388人と過去最高には及ばないものの,79年にほぼ近い水準まで回復している。ところで,海外渡航者が再び増加傾向えたが,事前の調査ではPR不足もあってそれほどのインパクトにはならないという声もあり,入場者の伸びが心配されていた。が,蓋を開けてみると,予想以上に好調で, とりわけ夏休み期間は入場者が殺到,万博以来の大動員となり,通算では1.610万人が入場した。しかし,入場者の大半が関西圏の居住者であり, また,旅行する代わりにポートピアに という消費者も多く,旅行会社にとっての収支計算はそれほどプラスにはならなかったようだ。来,台湾をはじめ東南アジア諸国からの来訪外客は増加の一途をたどっている。また所得伸び悩みの中で, 日本人の海外旅行では近距離志向が定着し,観光支払い全体の抑制にプラスの効果を与えている。ちなみに白書によれば,81年の海外旅行者1人当たり支払額1,152ドルで前年より2%ほど減少している。|?????:? |??????????|?????|? ????|???|?????|??l??????????????????????????????|?????????た。国内観光が回復した背景には,観光 を取り戻したものの,国際旅行収支の赤レクリエーションが国民生活に定着した 字幅は2年続きで縮少している。白書はことに加え,神戸ポートピア博覧会など これを,来訪外客増加に加え,支払いが旅行需要を喚起するイベント開催がある 抑制された結果と分析している。79年にと白書は分析している。 行なわれた台湾の海外渡航制限緩和以レII本海側豪雪被害(1月)トテヘランの米大使館員人質,443日ぶりに解放(1月)>ローマ法エパウロ・ヨハネ2世来日(2月)>ボートピア開幕(3月)トレーガン大統領狙撃(3月)レ瀬古利彦がボストン・マラソンで優勝(4月)>仏大統領にミ′テラン氏当選(5月)トローマ法王狙撃さる(5月)>三和銀行事件で,伊藤素子逮捕(9月)レ福井謙一教授がノーベル化学賞受賞(12月)I夕5桂林でオーバーブッキング1981年に入って,中国の国営旅行社であるCITSは,地方分社,支社が直接海外の旅行会社と交渉する「自主対連」への態度を二転,三転させる。その背後には,中央と地方との微妙な力関係があったと思われるが,仕入れルートの錯綜は,中国旅行に大きな混乱を引き起こした。「自主対連最悪の落とし子」と言われる桂林のオーバーブッキングがそれで,10月だけで1万人のオーパーブッキングが発生しているのが明らかになったのは9月も末になってから。うち日本人旅行者は3,000人にも及び, ツアー実施直前だっただけに, 日本の旅行会社は右往左往。現地に担当者を派遣して,~ホテルの確保に務めるとともに 日程の変更や催行中止などの処置でようやく事態を収拾した。しかし,中国ブームの中心であった桂林ツアーのトラブルだけに,旅行会社には大きな痛手であった。桂林は洋酒メーカーのコマーシャルで一躍有名になり,また香港経由で低価格の中国旅行(17万円台)ということもあり,急に人気を集めたデスティネーションであった。しかし,桂林の人気に目を付けた旅行会社が争って商品化し,それらが別ルートで手配,仕入れを行なったことが,大量のオーバ~ブノキング発生を招いた。中国側の受け入れ態勢がまだ不十分だった上, 自主対連への態度も ‐貫しておらず,混乱に輪をかけることになったが,人気商品に過度に集中しやすい日本側の体質にも,問題があった。事∫キ再録社会重大I: -A海外・国内ともtこ回復基調に