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概要

20_1964-1983

ットの成熟が,一つの形に表われた節目の時であった。買春観光への批判がそれである。フィリピンの民間団体から「日本人男性の買春ツアーを禁止せよ」との声明文が出され, これを新聞などマスコミが大々的に取り上げた事件である。それまでも東南アジアヘのツアーが不健全であるとして批判されたことはあった。しかし,世論の激しい非難, さらには国会で問題になるなど,旅行業界がスケープゴートにされたきらいもなくはないが,消費者の旅行会社に向ける目がこれほど厳しくなったのは,高度成長期では考えられないことであった。この買春旅行批判は,旅行商品のトラブル増加とも相倹って,旅行業法改正の動きへと発展していく。急成長を遂げた旅行業界に社会的な責任が重くのし掛かってきたのである。消費者の成熟は何も,買春ツアーヘの批判という形だけで表面化したわけではない。インセンティブやアフィニティといった団体組織型の旅行が伸び悩み,逆1980年の海外渡航者は390万9,333人にとどまり,対前年比3.2%の減少を記録した。ことに対前年を上回った業務渡航に比べ,観光の落ち込みは激しく対前年減少率は4.1%に及ぶ。80年の海外渡航者減少は,観光渡航の減少だったといって差支えない。白書はこの事態が厳しい経済環境に起因するとして,業務旅行よ海外渡航者が減少したのは,64年の観光渡航自由化以来初めてである。オイル●ショック直後,国内旅行が大幅に減少した時期でも,海外旅行はマイナス成長を免れてきただけに この事態は深刻であった。同様に国内旅行も対前年比0.8%減, さらに観光消費額も前年を下回って,名目市場規模も縮小するという厳しい状態となった。白書は海外旅行者減少の原因として,次の3点を指摘している。第一は国民の販売されたが,公的機関の持つ信用,低価格,新聞募集という斬新なスタイルが第二のポイントである所得の低迷に深く関わっている。80年には国民の大部分を占める勤労者の実質可処分所得の伸びがマイナスとなり,第1四半期こそ実質消費は対前年を上回ったものの,第2四半期以降はマイナス成長に転落した。こうした状況下では高額かつ選択的商品である海外旅行が抑制されるのは当然である。さらに第三の要因として白書は,相次ぐ国際航空運賃の値上げで海外旅行の割高感が広まったことを指摘している。に一般募集型が増えるという,マーケッ オーガナイザーによる団体組織型の旅 消費者にアピールして,予想以上の人気卜の変質もこの年を境に急速に進み始め 行販売の不振は,旅行会社の団体販売部 を集めた。しかし,初期の人気も,旅行る。特定団体へのセールスから,不特定 門の目を,一般の市場に向けさせること 会社が競ってモニター・ツアーを設定,多数を対象とした商品企画が,旅行会社 になった。1970年代の後半になり,旅行 激しい販売合戦を繰り広げたため,集客の若きエースとして登場してきたのであ 市場の成熟化が目立ってきたことも, こ 力が落ち, また,モニター方式という売る。残念ながら, まだ力不足であったた の傾向に拍車をかけた。 り方に批判が出たこともあって,販売手め,団体の凋落を補うまでにはいかなか 団体販売部門の一般市場への最初の本 法として定着するまでには到らなかったったものの,モニター・ツアーの人気に 格的な取組みがこのモニター・ッアーで が,モニター・ッアーで使われた新聞に新旧交替の子感はさらに強まってきた。 ある。政府観光局などとタイアップ,新 よる募集は,不特定多数の集客手段とし(J.M.) 聞紙上でモニターを募集するという形で て,広く見直されることになった。!??????|????????|????l??|????|????????|???|??!????|??!???|?????|??|???!????????|? |????????????|??l????????????|???l?????????????|り観光が大きな打撃を受けることは当然 間に経済の先行きや,暮らし向きの将来,毎タト旅イテカ' と分析している。 に対して不安感が広がったこと。これは>第13回冬季五輪・レークプラシァド大会(2月)卜早大商学部入試漏洩事件(3月)>大貫さんが東京・銀座で現金1億円拾う(4月)レ韓国全11に非常戒厳令(5月)レJCtがモスクワ五輪不参加決定(5月)>大平苗相死去(6月)>衆参同日選挙。自民党が安定多数(6月)卜「イエスの方舟」事件(7月)>第22回五輪・モスタワ大会(7月)レジョン・レノン射殺される(12月)IタタJTB,「法的責任」裁判で勝訴日本交通公社(JTB)が主催したフィリピン旅行の途中,パス事故で重傷を負った主婦が,JTBと同社の代理店を相手取って,静岡地裁に損害賠償の訴訟を起こしたものだが,同地裁は1980年5月21日,JTB側の主張を全面的に認め,訴えを棄却した。この裁判は,旅行会社の法的責任が本格的に法廷で争われた最初のケースであり,それだけに裁判所の判断が注目されていたが,結果的には旅行会社側の全面勝訴に終わった。重傷を負った主婦には大変気の毒な事件であったが, ともすれば消費者主義の波の高まりに呑み込まれ,ズルズルと後退しかけていた旅行業界に法意識の必要性を教えるとともにある種の歯止めを与えたことは重要である。旅行という各種サービスを集合した無形商品, しかも国際を舞台とする海外旅行は, どうしても責任の所在が曖昧になりがちである。だからこそ,法的な関係を明確化しておかなければならないのだが,果たして旅行会社にどれだけのそうした意識があったかは疑間である。しかし,旅行が不特定多数化し, しかも年間400万人という旅行者が海外へ出かけるとなると,必然的にトラブルは増加する。この静岡裁判は,旅行会社の法意識欠如への警鐘になると同時に主催旅行における旅行会社の責任という新たな問題を提起した。消費者保護の立場からの旅行業法改正,主催旅行責任の明確化につながる第一歩となった事件である。事1キ再録社会重大ニュース