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概要

20_1964-1983

本来ならば前年10月には一番機が飛ぶはずだったITCを目当てに,業界では商品造成も終了,商戦突入を今や遅じと待ち構えていただけに年明けと同時にセールス合戦は白熱化,戦いの火蓋が一斉に切られた感があった。このため,長崎空港をはじめ,熊本,松山,千歳など地方空港発着のITCが急増,東南アジアを中心とする近距離チャーター商品が地方市場を席捲する勢いを見せた。成田,大阪両空港発のITCが認められなかった背景を抱え, その代理市場としての地方需要の喚起を命題とする業界の動きは,結果的に成功を収め,ITCは海外旅行“地方の時代"を演出する大きな武器となった。また, こうした市場の動向を見て,全日空が香港とマニラ, 日航が南太平洋(タヒチ, フイジー,ニュージーランド)と,大々的に地方発ITCの運航を発表,その後,出発空港の変更,業者の集客難など,多少の曲折はあったものの一応の成果をおさめ,名実ともに“ITC元年"1979年の経済情勢は比較的安定していた。景気のゆるやかな回復と物価の安定が相候って,実質所得の伸びは堅調に推移し,消費支出の伸び率も前年を上回った。白書も観光を支える経済情勢として,こうした状況を報告している。好調に推移した経済情勢のもと,国内,国際観光とも前年からの増加傾向を維持した。国内観光宿泊者は対前年比6.0%増の1億4,100万人回に達し,一方海外渡航者は同じく14.6%増の403万8,298人とついに400万人の大台を記録している。渡航目的別内訳では観光が84.4%,業務130%,その他2.6%であり,観光は前年に比較して0.5ポイントのシエア●アンプであつたO海外旅行全体に占める観光の比率はまだ若千上昇傾向にあるものの,観光,業務両者のシェアは安定化が著しい。また国内・海外の対比でいえば,厳密な比較とは言えないが,国内観光の約3%の水準にまで海外旅行所。香港には総代理店として「香港中国国際旅遊有限公司(CITC)」を設立しての規模が拡大してきたことになる。白書はこの年の報告から,「旅行者の保護及び旅行業界秩序の確立」という項目を設けて,現状と施策を報告することになった。従来,旅行業についての記述は比較的簡素であったことを考えれば,旅行, ことに海外旅行の成長等によって,旅行業者の社会的役割に対する行政側の認識が高まったことがうかがわれる。 ‐方,旅行業の問題点も表面化し,同年7月運輸省内に旅行業制度検討委員会が設置され,1982年の業法改正へ向かう一連の方向づけがなされている。をもたらした。 中国国際旅行社のこと。英語名 いる。ITCの販売に当たっては,いわゆるス “ChineSe lnternatiOnal Travel Servicc'' 中国では外貨獲得のため,外国人の中プリット(分割)チャーターが可能であ の略称がCITS。 国旅行を積極的に受け入れる政策をとっること, また旅客の公募が可能となって 中国の国営旅行社で,中国を訪れる外 ているが,外国への窓口は「総社」に一宣伝活動が許されたため,旅客にとって 国人の旅行を扱うことを目的に中国国 本化しており,各地方の分社,支社が直はチャーターがより身近に感じられたこ 務院の一部門である中国旅行沸覧事業管 接外国業者と取引きすることは当時禁じとなどが有利に働き, さらに自治体を中 理総局の管轄下に設立されている。 られていた。したがってCITSでは, あ心に盛り上がりを見せ始めた地方空港の 北京に「総社」があり,中国の各省, らかじめ受入れ枠を設定し, これを外国国際化への要請などとも相候って, 市場 市に「分社」,「支社」を置く。海外事務 の指定友好業者に割り当てる方式で,施獲得に力を貸す結果となった。(T.0.) 所に東京,ニューヨーク,パリの3ヵ 設の効率的な運用を図っている。???|??|????|??|?????|??????!? |????|????????|??????|??|????????????|???l??Ш???|????!????????|?????|? |???|???????????|???????????|レイランの′ヽ一レビ国[出国、ホメイニ師が15年ぶりに帰国(1月)レスリーマイ′し島原f力発電所'F故(3月)>都知事に鈴木俊一氏、大阪府知事に岸呂氏。革新都政・府政に幕(4月)トサ′チ|― 女史が,イキリス初の女性首相に(5月)>東京サミット開催(6月)>韓国・朴大統領が射殺される(10月)>テヘランで.学生が米大使館占拠(11月)トソ連軍がアフガニスタンに介人(12月)ゴタゴ南極観光で航空機墜落南極観光のため11月28日朝,ニュージーランドを発ったニュージーランド航空のEC-10型機が南極大陸のエレパス山(3,794m)に激突,乗員乗客合わせて257人(日本人24人)全員が死亡した事件は,1979年の業界が絡んだ最大の暗いニュースとなった。この飛行機は,ニュージーランド航空が企画した南極観光特別便で,毎週水曜日にオークランドを発ち,南極L空を旅覧飛行して帰っていたもの。すでに世界中を旅したような超リピーターに人気があり,それまで日本人も約130人が参加していた。この便で遭難した日本人24人は, 日本交通公社上野支店が集客したもので,添乗員1人が含まれていたほか,客の中に女流登山家。今井通子さんの両親や報道写真家の繁田清四郎氏ら有名人がいたことからも話題を呼んだ。午前8時(現地時間)にオークランドを離陸したこの日の便は,午後2時半,マクマード基地北方370キロの地点からの連絡を最後に通信を絶ち,帰着時間になっても戻らないため,同航空や米軍が空から捜索したところ,10時間ぶりに残骸を発見,遭難が確認されたもの。事故の原因は気候の急変などが重なったためで,事故後も現場付近は悪天候が続き,米国南極越冬隊員の手で全員死亡が確認されたのが翌29日。捜索隊が現地入りしたのが30日で,大破した機体とともに山腹に広く散乱した遺体の収容作業は難航,師走の新聞紙面を年末まで暗く彩ることになった。社会重大ニュース海外渡航者400万人台に観光は84%●キーワード● CITS事fキ再録