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概要

20_1964-1983

ブ 77 年脇θθ万人台肩び2桁成長続ぐ前年の2桁台の伸びの余勢を駆って好調なスタートをした1977年であつたが,年初にエア・サイアムの倒産という冷水をかけられた。低価格運賃政策が欧米から太平洋にも波紋を及ぼし, 日本の旅行業界を大きく揺さぶることになる。新チャーター制度への旅行業界の対応が迫られた年でもあつた。さらに,11月25日には閣議で「成田新空港の開港は翌年3月30日」と決定されている。“空飛ぶ列車"スタート大西洋は低運賃競争時代に予約はできず,機内でのサービスはない(ノー・フリル),その代わり運賃は半額という超安値で華々しく大西洋路線に登場したのが英国レイカー航空の「スカイ・トレイン(空飛ぶ列車)」。その一番機(Ⅸ〕-10)イースタン・ベル号が9月26日午後4時にロンドン郊外のガトウィック空港を271人の乗客を乗せニューヨークに向けて飛び立った。「安いことこそ消費者のニーズ」としてスカイ・トレインによる低運賃定期便をフレディ・レイカー氏が提唱したのが1970年代の初め。英国政府は同申請に対し72年の暮れ認可を与えた。しかしその後,英政府は一度出した運航免許を英米両航空界の総反発に考えを変えて取り消してしまった。この措置を不服としたレイカー氏は訴訟に持ち込み,数年にわたる裁判の末に英控訴院から「取消しは政府の権限逸脱」とする判決を勝ち取る。この間米国CABは認可を遅らせていたが, この年の6月6日, 自由競争は消費者に良い影響をもたらすとするカーター政権により認可されることとなった。普通エコノミー(往復)で600ドルはする大西洋線に半分以下の運賃が出現したのに驚いたのは定期航空会社。年間に1,400万人の利用客があり,その大半がビジネスや親類・友人訪間などの旅客で12`●昭和″卒占められているだけに,価格に敏感に反応するとあって,既存の航空会社も対抗策を打ち出すこととなった。その第一弾が「スタンバイ運賃」で,予約ができない以外,サービスはエコノミー客と同等というもので,スカイ・トレインの往復236ドルに対し,20ドル違いの256ドルという価格。さらに′ヾジェット運賃, スーパーAPEX運賃などが登場,大西洋の空はダンピング合戦となった。低運賃によって需要が掘り起こされ,市場が拡大すれば問題はなかったのだろうが,大きな成長を見込めないマーケットにおいてはパイの奪い合いになってしまう。大西洋を飛ぶ航空会社はイールドの低下に次第に疲弊していった。火付け役だったレイカー航空もその後,80年代に入りついに大きな負債をかかえて倒産することになるのである。安売り1,D符の客立往生エア・サイアムが倒産IATA加盟の航空会社が倒産, そのつけはエージェントと消費者に回されるというショッキングな出来事が起こったのは1977年の2月。倒産したのはエア・サイアム(VG)だった。1966年8月にタイの国際民間航空として設立され,70年2月からバンコク/香港/東京/ホノルル間を運航していたVGは,放漫経営から負債を増大,資金調達を行なうためダンピング切符を乱発, さらに経営を圧迫していた。最後の手段として77年3月に切れる運航免許を5年間延長させ,信用を回復して資金導入するしかないと判断,76年12月29日に突然運航を停止した。すでにその時点では2機あった機材のうちⅨ}10をリース料の未納で返却させられており,B―747による1機の綱渡り運航だった。年末年始の超ピーク時における運航停上にバンコクや香港,ホノルルの空港には足を奪われた乗客が立往生した。安売り切符のため他社便には乗れず,新聞の紙面を賑わすこととなった。1月5日に再開はしたものの,運航経費はすべて現金払いを要求されていたため1飛行当たり1,500万円の現金が必要となり,その資金が手当て出来ず1月7日に再び運航がストップされた。1月14日タイ政府はタイ国際航空(TC)にVG客の振り替え輸送を命じ, 2月3日の閣議で運航免許を同日付で停止した。日本関係の負債は11億2,186万円で,内訳は,運輸省(空港利用料)1億2,106万円, 日本航空1億8,493万円,全日空1,152万円, 一般旅客航空券1億1,965万円,旅行代理店(10社)3億349万円,ホテル機内食9,388万円,三井銀行2億4,198万円であった。日本人職員76人(男性40人,女性36人うちスチュワーデス19人)は2月10日付で全員解雇された。第156ヵ年間に300万人という送客国となった日本に対して,各国からその市場性に熱い期待が寄せられる一方,送客先での摩擦も起こってきた。国際交流の場で一方的な主張は通らない。送客側。受入れ側相互の理解が必要不可欠となる。日本の旅行業者に対しても,国際交流の場での発言を求められることが多くなった。こうした背景の中で, 日本旅行業協会(JATA・兼松学会長)は日本で国際会議の開催を決定した。「ダイアローグ(対話)」をテーマに11月28日から3日間,東京プリンスホテルで開かれた「第1回日本。国際観光会議」は世界56ヵ国から959人の参加者を集める盛会となった。このうち海外からの参加者は635人と, 日本市場への関心の高さを裏付けるものとなった。会議は「航空輸送と日本を取り巻く国>ニューギニア航空が鹿児島/ポートモレスビー線開設(1月)>JATAが「国際航空対策特別委員会」設置(2月)>日本航空機がクアラルンプールで墜落(9月)レ日本人ゲリラがボンベイ上空で, 日本航空機をハイジヤノク(9月)>日本航空とコンチネンタル航空がサイバン線開設(10月)>JATA東北支部発足(11月)レ閣議で成田開港決定(11月)>第1回JATAコングレス開催(11月)旅行業界重大ニュース