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概要

20_1964-1983

り易かったのは,特定の地域に限定したイベントではなく,全米各地でその地域なりの200年祭があり,旅客に対するモチベーションとなり得たことが200年祭の大きなメリットと捉えられた。特にハワイまでだった日本人観光客が米西海岸から中西部,東部へと足を伸ばしたことが,翌年以降の西海岸ブームヘ火をつけたきっかけとなった。米国商務省観光局(USTS)の発表した出入国管理局の統計によると, この年アメリカを訪れた日本人は77万2,386人で対前年35%の増加で,国境を接するカナダ, メキシコを除くと海外では英国を大きく引き離してトップだつた。アメリカ。ブームが起きた年だったがグアムだけは厳しい年となった。順調な旅客増をみせていたグアムだったが,一部週刊誌に治安問題が報道されややカゲリが見えていたところに, 5月21日,大型台風「パメラ」が来襲。瞬間最大風速90メートルという猛威にヒルトン, トロピカーナ, リーフの各ホテルが大きな被害にあった。このためにグアムに罐詰めにされた日本人観光客は約1,000人で,ほとんどがハネムーナーだった。現地側から災害復旧までの約2週間は送客を中止するよう要請があったため,エージェント側も送客を手控えることとなった。さらに台風の被害復旧がなって旅客が増え始めた秋口にバンアメリカン航空がストライキに入るというトリプル・バンチのダメージだった。(K.H.)1976年の報告の冒頭で,観光白書はオイル・ショック以後のレジャーの変化について触れている。それによれば,74年以来実質所得の伸び悩みと消費支出の停滞は続いているものの,反面週休2日制や制度的夏季休暇が急速に進み,自由時間は増大している。こうした状態を反映して, 日本人のレジャーも高度成長期のIATA(国際航空運送協会)が将来における航空運送販売対策の一環としてツアー・オーガナイザーという流通の機能を認めようと検討を進めたもので,通称レゾ850Xと呼ばれた。わが国の流通業界に大。きな変革を促すことから,素案段階でトラベルジャーナルがこれを報道,1976年を代表する言葉となった。レゾ850Xの狙いは,IATA規定の枠外にあったッアー。オーガナイザーの位置づけを明確化するとともに卸売り機能を持たせ, ツアー販売の強化を図って旅行支出に重点を置いたいわゆる所得消費型から,参加率は高いものの1回当たりの支出は低減化傾向の著しい時間消費型へと転換しつつあるという。むろん白書の指摘が当時そのまま妥当したか否かには疑間も少なくない。しかし比較的早い時点で, レジャーのあり方の変化を分析した点は評価できよう。一方,質的な変化をみせながらも,量的には高度成長時代末期の水準を回復できない国内観光に対し,海外旅行の回復はすでに本格化している。76年には景気が多少回復する兆しをみせ始めたことかいこうというもので,① ツアー。オーガナイザーを登録制としてネット運賃を提供,②同者はッアー企画から販売まで行ない,小売代理店卸しの場合は一定のコミッションを支払う,③同者に発券から報告,送金までを義務づける一が骨子。IATA代理店が代売に対する手数料報酬という発想に立っているのに対し,ッアー・オーガナイザーは座席の仕入れ機関であり, ッアー・メーカーとしてはっきり捉えようというのが特徴だった。結局,導入には到らなかったものの,旅行業界が自らの立場を厳しく見直すきっかけとなった。ら,海外旅行の増加傾向が定着した。ことに景気回復が顕著だった前半期はこの傾向が著しく, 2月の21.1%増, 4月の25.3%増をはじめ,各月とも前年同期の海外渡航者数を大幅に上回っている。後半期は所得の伸び率が低下し個人消費支出が抑制されたため,対前年同期比が低下をきたしたものの,通年では15.6%増の285万2,584人に達した。石油シヨンクの影響をまともに受けた74年の増加率が2.0%,同じく75年が5_6%であったことを考えれば,著しい回復といえよう。|????????|? |? ??????????????|? ???|? ??????????????????????????l? ?|? ?????|? ?????????????????|? l? ???|? ??|? ????||? ????|? ????l>鹿児島でだつr誕生(1月)レ第12回冬季五輪・インスアル′ク大会(2月)>げ キード'F件発覚(2月)レアメリカ建国200年祭(7月)卜第21回fi輪・モントリオール大会(7月)>田中角栄前|■相逮捕(7月)トツ連の:グ25戦闘機が内館空港に強行若陸(9月)>中国の毛沢東LI['i'i死去(9月)卜山形県酒田市で大火(10月)>口′キー雌選挙(12月)添乗員カラロの犠牲に1976年8月11日夜(日本時間12日未明)トルコのイスタンブール国際空港でエルアル(イスラエル)航空機のテル7ビブ行きB-707旅客機にゲリラが攻撃を加え,犯人1人乗客4人(日本人1人を含む)の計5人が死亡,20数人が負傷した。死亡した日本人は同空港でパキスタン航空機を待ち合わせていた日本人旅行グループの添乗員平野豊氏(日本旅行企画部勤務, Ю歳)だった。日本人がパレスチナ・ゲリラのテロ作戦の巻き添えで死んだのは初めてである。平野豊氏は8月4日、マンノ`の「ナイル●メソボタミアと中近東19日間」のツアー(参加者10名)の添乗で羽田空港を出発, テヘラン, イスタンブール,バググンド, カイロなどを回って22日帰国の予定だった。11日のイスタンブール空港にはそれぞれ11人からなる2組の日本人グループ客が2階の売店にいたが,あと15分で予定のパキスタン航空機に乗り込むばかりになっており, 平野さんが下の乗降口に搭乗の様子を見に降りた直後,犯人の投げた手投げ弾の爆発に遭遇した。日本旅行は12日朝,対策本部(本部長。関根総夫国際部長)を設置,現地側やツアー客への対応に当たった。なお, ツアーはその後も実施された。この事件を機に労災保償額の見直しや添乗労働への関心が高まった。事1キ再録社会重大ニュース12,所得消費型から時間消費型レジャーヘ.+-"-l"o lr'/850x