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概要

20_1964-1983

なったもので, シート数は燃料タンクを大きくしたため,従来の747より100席ほど減らされ288席。機体は14メートル短い。バンアメリカン航空のB-747 SP導入によるニューヨーク/東京ノンストップ便開設の狙いは,東京というビッグ●マーケットヘ向けて,イールド(収益性)の高いビジネスマンなどインディビ客を吸収し,太平洋線のシェアを拡大することにあった。これに対し,SPを迎え撃つ形となった日本航空は,サービスの質をさらに向上することによって対応。パンアメリカン航空の「経験ゆたかなビジネスマンヘ。えりすぐりの心くばりです=アメリカン・スピリット・サービス」に対し,日本航空は「ご出発から,ご到着まで日本航空が一貫してお手伝い=JALェグゼクティブ・サービス」で対応し,両者による華々しいインディビ。マーケット獲得作戦が繰り広げられた。日航の機内には,エグゼクティブ。キャビン「たちばな」が設けられ,サービ定着したの4子1975年7月から開催された沖縄海洋博について,白書は7ページを費して報告しているが,すべて事実報告で評価は一切行なっていない。一方この年の海外渡航者に対前年比5.6%増の246万6,326人にとどまったものの,低迷を続ける国内旅行に比べれば順調な推移を示している。ことに年末から翌76年初頭にかけての出国者は前年同期を大幅に上回り,回復傾向が著しい。白書はこうした傾向を,正月休みの海外旅行が生活の中に定着した結果と分析ら翌1月4日までの10日間,東京国際空港から出国した日本人旅行者は10万人を超え,対前年同期比14%増を記録した。年末年始の1日当たり出国者は年間平均を50%以上も上回り, ピーク・シーズンである8月の平均をも凌いでいる。・これは年末年始が海外旅行シーズンとして定着したことを示すものといえよう。が始まり,航空運賃が乱れた。これに対し,運輸省が不正取引きの防止,不正行海外旅行が国内旅行ほど,オイル・ショックの影響を受けなかった原因として,白書はリピーターの増加を挙げている。ある年度の海外渡航者と旅券発給数航者,つまリリピーターとみなしてよい。観光渡航者全体IC占めるリピーターの比率は、観光渡航にも数次旅券が発行されるようになった70年以降漸増してきたが, オイル・シヨンクを契機として一挙に上昇し,75年には42%に達し,海外旅行者数の増加に貢献している。スのセグメンテーションが行なわれ, 日本航空をはじめとする外国オフ・ラ 為の自粛を日本航空,外国航空会社,「Tel meデスク」や「ファミリー・サ ィンを含む45航空会社で組織された「国 JATAに要請, これを受けて両委員会が―ビス」など,裾野の広いサービス・シ 際航空運送秩序確立委員会」(議長・松 組織された。ステムが展開された。 村信雄日本航空常勤顧間)と,旅行業者 国際航空運送秩序確立委員会の下部組B-747 SPの就航は,70年にジャンボ の「JATA(国際旅行業協会)秩序確立 織である旅客不正行為監視グループで機が導入されて以来,大量輸送。大量販 委員会」(委員長・兼松学日本交通公社 は,無登録業者などによる不正広告の掲売の前に影を潜めていた航空会社の本来 副社長)の二つがある。 載中止要請や航空券をテスト・パイして的な個人サービスの復活をもたらし,新 73年秋の石油ショックに端を発した景 調査するなど浄化策を展開。8月26日にたなハイ・イールド●セールス時代への 気後退の影響を受け,旅客が減少し,そ は,両委員会初の会合が開かれ,不正行先駆けとなった。 (T.Y.) れに伴い各航空会社間の最烈な過当競争 為に対する監視活動の強化を決めた。|?????|??????l????|? |?????????|??|????|???|? |?????????|? |?????|??1????????????|???|???????????|??|???????????|???|?????????!???|?している。自書によると75年12月26日か との差は,数次旅券による再度の海外渡レ英保守党党首にサッチ十~女史(2月)レ南ベトナムで,解放軍がサイゴン無血人城(4月)>エリザベス英女王夫妻来11(5月)>日本女r登山隊が女性として初のエベレスト登頂(5月)レ国際婦人年会議(6月)レ沖縄海洋博開幕(7月)>日本赤軍がクアラルンプールで米, スウェーデン両大使館を占拠(8月)レ天皇・皇后ご訪米(9月)トパリ郊外のランブイエ城で第1回サミ′卜(11月)f2タ沖縄国際海洋博開く沖縄の本土復帰記念事業の一つとして計画された沖縄国際海洋博は,36ヵ国,1自治領, 3国際機関が参加して,7月19日に開幕した。当初,75年3月から半年間の予定で入場者450万人を見込み,海洋博関連投資は総額2,000億円に達するものとみられていたが,オイル・ショックによる公共投資抑制策により工事が大幅に遅れ,パビリオンも不況で中止する国が出るなど,期待ほどにはふるわず,入場者は閉幕した76年1月18日までは当初見込みより102万人少ない,延べ348万人にとどまった。だが,海外旅行マーケットの落込みをカバーすべく国内の海洋博に送客した旅行業者も多く,軒並み赤字の国内線をかかえた航空会社も,沖縄線のみは活況を呈した。期待ほどにはふるわなかった沖縄海洋博事`キ再録社会重大ニュースど1 珈「司躍F』一菫饗奪厄