ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

20_1964-1983

したのが目立つ」「乗客の層も,商店主,工場主などの自営業組に加えて,サラリーマン,OLなどのヤング層も増え,広範囲になったことも特筆される」と, トラベルジャーナル紙は,当時を以上のように伝えている。´方, コ~ロンパ旅行の盛況の裏で,旅行業者側の問題は深刻なものがあった。返品のきかない買取り40席を埋めきれるか,資金。手配・集客力のどの面でも大手と太刀打ちできない中・小規模の業者にとって,パルク運賃は,極めてリスクの高い団体運賃となった。国際旅行業者協会(JATA。現・日本旅行業協会)は,日本航空を通じて,IATA(国際航空運送協会)に対し,バルク運賃の改定と販売手数料の付与を要望したが,実現しなかった。航空券の代理販売に伴う手数料に慣れ切っていた体質が,団体運賃による座席の仕入れ, 商品化という図式に拒絶反応を′下したのである。パルク運賃は, 日本発は成功したが,コ~ロンパからの日本向けは失敗した。順次続けられてきた観光渡航の制限緩和に伴って,増加し続けてきた観光目的の海外旅行者が,1969年には25万5,449人に達した。観光渡航の対前年比増加率は65イ%で,業務渡航の27.3%を大きくL回っている。 一方絶対数でも, この年初めて観光渡航が業務渡航をしのぎ,沖縄以外への渡航者の過半数を観光渡航者が占めるに至った。ちなみに沖縄への渡航者は21万9,200人,沖縄以外への渡航者は49万2.880人である。業務渡航も含めた海外旅行収支は,63年の業務渡航自由化以前から赤字基調にあった。 ‐方,1司際観光収支は64年以来,漸次黒字幅が縮小しながらも,赤字転落を免れてきた。しかし1969年度の国際観光収支は700万ドルの赤字を計L´ した。これは戦後初めての赤字転落である。白書は国際観光収支赤字転落の原因として,観光渡航者の急増はむろんのこと, ヨーロッパ等への長距離旅行の増組み込み,旅行商品を設定,催行した。この運賃の導入により,従来60万円台加,持出し外貨枠の拡大を指摘している。この年の白書は,観光政策審議会が4月に出した答申の内容を報告している。「国民生活における観光の本質と将来像」と題する同審議会の答申では,交通・宿泊施設など観光に不可欠の施設整備はもちろん,“開発か保護か"という立場から観光開発に関連した自然資源,文化財保護の問題が取り上げられている。当時,社会問題化していた公害や環境破壊に対する関心の大きさがしのばれて興味深いものがある。40人以liの団体旅行という大型グループ パルクIT(Bulk lnclusivc Tour だった欧州商品が30万円台に,また,30が欧州市場にはそぐわなかったためであ Fare)は,翌70年に始まるジャンボ。ジ 万円台の′`ワイ商品が最低14.5万円まる。 ェット(最大490席)の路線就航を控え で,最高67%も引き下げられた。パルク●ツアーのマス媒体利用による 導入された,座席一括(最低40席,追加 69年11月に発効したパルク運賃適用の募集広告の第1号は,サンケイ・ツーリ は5席単位)購入制度。現在は, ‐部南 欧州ツアーの募集を前にベテラン社員をスト(現・トラベルロ本)の「ヨーロッ 太平洋地域に残るが,使用されていない。 して「あの寒さの厳しい冬のコーロッパパが安くなりました′ 欧州バス旅行13 東京/欧州問,次いで東京/ノ`ワイ間 を,最低40人売るなんて,本当にできる日間29万5,000円」で,読者サービスと に導入された。代理店販売手数料を伴わ のか!?」と嘆かせたが,ハワイをはじめ銘打ったこのキャンペーンは6月2日付 ない,買取り制のこの運賃をベースに 旅行需要は着実に拡大し,70年代の海外けサンケイ新聞に掲載された。(Y.H.) 旅行業者は現地の観光,宿泊,交通等を 旅行ブームの原動力となった。?川??|??????|????l????|? |???|??????|??|??????|???????????|???????|????????|????|??????????!??????|?????????|????????????|??????人卜米大統領にニクソン(共和党)氏就任(1月)>機動隊が東大・安|?講常の封鎖解除(1月)>束名高速道路全線開通(5月)>第52回ライオンズ国際大会.東京で開催(7月)>米国のアボロ´1宙船が人類初の月面着陸(7月)>コンコツしドがマ′ハ105を記録(10月)● lt? 帯の年間′:好得が100万円を突破(12月)>国際観光収支が戦後初めて赤字を計11(700万ドル)(12月)欧州バノンク第1便|ジャルパック・ジョイ。ヨーロツパ旅行の第1陣,総計49人が11月2日, 日航機で出発した。これらの人々は,11月111から日/′ 欧間に適用されたパルク・フェアによる新しい客層とも見られるべきもので,男女の構成比では女性の方が60%と上回っていた|「30代の女性,家庭の主婦の参加が目立ち,最初のツアーとあつて,記者,文筆家, カメラマンなどの報道関係者も多かった。興味深いことは,参加者のうち40%が日航トラベローン・ボーナスプラン利用によるものであり,支払いの簡便性により,新たな顧客が開発されたことがうかがえる」|ヨーロッパ旅行は、どのコースも満員盛況で,オーパーブッキングのお客をなだめるために,各社の係員がてんてこ舞いしている有様」― と,本紙(トラベルジャーナル1969年11月2411号)は,海外旅行の人衆化の幕開きとなった欧州バルク第1便を以上のように伝えた。従来の機種に比べ3倍以上の収容力を有する巨人機(当時はこう呼んでいた)ボーイング747型機の就航を翌年に控え, ‐気に20万円台にまで引き下げられたヨ~ロンパ・ツア~は大反響を呼んだ。ジャルパック・ジョイ。シリーズは予定の29本が発売と同時に売り切れ,増発につぐ増発で,秋までに42本を売り尽くした。1司ツアーの利用者は年末までに2,062人に達した。前年のジャルパック客68人の実に30倍に当たる人数となった。事1キ再録社会重大_ュースIII●キーワード● バルク運賃