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概要

20_1964-1983

ク以遠権)などを要求,米国側は①東京以遠無制限乗入れを含む現協定の確認,② 日本側の米国西海岸経由中南米路線の放棄などを主張,要求した。特に日本側は,1952年8月11日に締結されたIl米航空協定が,占領下という制約ドで調印され日本にとって不利である点をli張したが,物別れに終わり第1回交渉は中断,第2回交渉も米側がニューヨーク以遠権を拒否したため中断された。第3回交渉は8′ 110日に開始されたが合意に到らず,外交ルートを通じての交渉に持ち越された。その結果,65年12月28日になって,「中南米路線の条件つき確保と大圏コースの運航に関する協議の確認」で合意され,ニューヨーク以遠の運航権(日本航空の世界・周路線開設)が認められた。世界一周線実現は「世論や政財界のパ首条五IJζIIFlg「夕年ャと几 囃蝙爾鰈鰤浙鰤魃蒻たL家公務員の海外出張には日航機利用が数少ない世界一周線をもって世界に雄 KLMオラング航空845%, スカンジ を呼びかける一方,「日の丸機を愛用し飛することにより, 日本の国民的威信を ナビア航空(北欧3国)79.6%, エール てくださぃ」と愛国心に訴えた。高めたいという期待と無縁ではなぃ」 フランス72.3%―-1964年の北極ルート 同キャンペーン開始前には,総合政策(「日本航空20年史」)と評価された。 欧州線の自国民利用率である。欧州のナ 研究会(有沢広己会長)が「航空国際収日本航空の世界一周路線が年末になつ ショナル・キャリア(国を代表する航空 支への提言」をまとめて佐藤栄作首相とて確定した65年は, 日本企業が国際進出 会社)の自国民利用率が非常に高率だっ 運輸省に報告,「日航は日本人旅客の60に実力を発揮した年で,「トランジスタ たのに対し,64年度の日本航空の日本人 %を確保する必要がある」と国際収支改のSONY」「カメラのNIKON」が各国 利用率は37.6%にすぎなかった。 善策を提言した。米国でも「ドル防衛」で評価された。「メード・イン・ジャパ このため日本航空は,開放経済体制を 策の一環として「フライ・アメリカ」キン」のクレジットが粗悪品から優秀品へ とった政府の「国産品愛用運動_|に呼応 ャンペーンが繰り広げられ, 日米双方でイメージ転換されたのもこの頃である。 して,65年4月から自国機愛用の「フラ 自国機利用を訴えたが, 日立った効果は(Y.S.) イ・ジャパニーズ」キャンペーンを始め なかった。|? ??|? ???????|? ???|? ??????????????????????????|??????????????????|? ????|? ??????!? |? ??????????|? ?|? ?????????????|? ??|????????|まだ旅行は国内3,000対海外1観光目的の海外渡航が自由化されてから1年,国民の海外旅行は急速な成長を示し始めた。1965年の海外渡航者総数は26万5,“3人で対前年比20.1%の増加をみせた。ことに沖縄以外への渡航者の増加は,1963年の業務渡航,翌64年の観光渡航制限緩和以降の急増傾向が定着し,対前年比24.3%増,15万8,827人に達している。 ‐方,沖縄への渡航者も沖縄以外ほどではないものの,増加が著しく,対前年比14.2%増で10万6,856人となり,初めて10万人の大台に乗った。しかし増加したとはいた海外旅行はまだ極端な少数派でしかない。白書によると,同年の全国観光地入込観光客数は7億5,000万人に達し,実に海外渡航者の3,000倍近い規模である。もっとも国内旅行の内容も現在とはかなり異なり,目的別では過半数が温泉旅行で占められている。また,国民宿舎やユースホステルを利用した家族や若年層の小グループ旅行を,「1書が新しい傾向として紹介していることにも,今昔の感をいだかざるを得ない。一方,1965年のトピノクスとして,万国博の開催決定が報告されている。白書は万国博を東京オリンピック以来の国民的目標と位置づけ,経済。社会的開発のテコとしての役割を期待している。また,1958年のプリュソセル、1967年のモントリオール万博の例を引いて,国際的PRの場としてばかりでなく,外客誘致の手段として強調していることも注日されよう。>山陽特殊鋼が負債180億円で倒産(3月)>松下電器が完全週休211制実施(1月)レベ`F連が初のデモ行進(4月)レ福岡県・山野炭鉱でガス爆発。死者237人(6月)>銀座にアイビー族登場(6月)>占展ちゃん誘拐犯・小原保が犯行白供(7月)>中国で文化大革命始まる(11月)>朝水オlk一郎氏がノーベル物理学賞受賞(12月)初の海外旅行ブランド「JALPAK」1965年1月20日, 日本航空は日航機を利用する海外団体旅行シリーズ「JALPAK Iを発売した。海外旅行の団体パノケ~ジ・ツア~としては初のブランドで,以後,「JALPAK lは海外セット旅行の代名詞にまでなった。海外旅行の自由化により、 日航は東京支店国際旅客販売課でツアーを開発,米国のケースを参考に商品化を進めたもので, 5種7コースが誕生した。当初の「JALPAK」は日航が企画し, 日本交通公社, 日本通運, 5社会(藤田,東急,南海,名鉄,阪急), 4社会(近鉄,西鉄,阪神, 日新)の11社が手配, ツアー・コングクターを派遣した。リテール(小売り)は, IAセット旅行のイt名詞にもなった「JALPAK」TA旅客代理店が担t海外観光旅行の需要喚起の推進役とな´,た。事1キ再録機鯵[旨-1-A社会重大Iθ タ